[コメント] ドン・ジョヴァンニ 天才劇作家とモーツァルトの出会い(2009/伊=スペイン)
絵画を風景として画面に用いる手法は『グレースと公爵』という先例があるが、更には街並や室内も書割を用いて舞台美術的に表現。ロメールの一種、倒錯したリアリズムに対し、本作は劇中劇としての“ドン・ジョバンニ”と現実シーンとの境界を曖昧化。
結果、現実シーンが書割による平板さ、奥行きの無さによって、薄っぺらさと狭苦しさを感じさせるのと比べて、舞台のシーンはむしろ、こちらも舞台上の約束事として書割を見ることができるので、却って広い世界を眺めているような解放感を味わうことができる。この倒錯性は面白い。
が、舞台シーンの素晴らしさは概ね、モーツァルトの楽曲が元々持っている素晴らしさに拠っている。全篇に渡り、照明の悪しき明瞭さによって、画面にはガラス細工めいた皮相な輝きばかりが生じ、観ていてあまりにも退屈。
モーツァルトの人物造形は完全に『アマデウス』に引きずられている格好。彼の父との葛藤や、創作によって命の火を吸いとられていく様なども含め、既視感がありすぎる。
主人公であるロレンツォ・ダ・ポンテはプレイボーイという設定らしいがその放蕩ぶりは画面から伝わってこず、創作に真摯にうち込む詩人としての顔の端に、どうやら放蕩しているらしいという側面が垣間見える程度。放蕩というよりは普通の恋愛を繰り広げているようにしか見えない。ゆえに、オペラの内容とパラレルに進行する彼の恋愛劇に生まれるべきアクセントが不発に終わるのも仕方のない話。
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