[コメント] 偽れる盛装(1951/日)
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ここでもう、京マチ子は身の不幸を嘆いたりしない。ただ悪漢を偽り、金の工面に奔走する。妹の藤田泰子の友人によって京都という封建社会の没落が予言されるだけだ。自分の運命を嘆きまくる芸者という、戦前ミゾグチ以来の置屋ものの伝統と切れている。新藤は本作を師匠の『祇園の姉妹』へのオマージュだと語ったそうだが模倣に留まらないのがさすがで、この造形は当時新しかったはず。梶芽衣子へ向けての一歩と見える。京は最後に引退を仄めかすが、ここは蛇足に思える。
「粋の構造」を理解しない男たちは順番に切り捨てられる。殿山泰司、菅井一郎、そして新藤も今に捨てられるだろう。破産して冒頭で捨てられるのを嘆いていた殿山が引く屋台、「銭かせがない仕事なんてないよ」と開店祝いの奢りを断る京。ふたりの関係性は冷酷に逆転しているが、断念の爽やかさが印象的だ。
これを理解したくない菅井の狂乱の件は素晴らしい。置屋もの頻出の菅井にして名演のひとつだろう。顎あげた狂気の表情が凄い。京を刃にかけたのは行く手を遮る踏切。彼女は京都という街に囚われているのだ。
昔の縁に義理立てして借金を拵える瀧花久子の母親も印象に残る。零落した三好栄子の造形も決まっていて、情に靡く年寄りの心情が伝わってくる。そんな母親をボロカスに貶しつつ尻ぬぐいをする京のハードボイルド。やっぱり元祖梶芽衣子だ。逡巡する小林桂樹のパートが弱くていけないがまあ些細なこと。京都の街中が大フューチャーされるのも美点。
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