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[コメント] キャタピラー(2010/日)

「戦争憎し」という若松監督の思想は良く分かるが、それを作中に「分かりやすく」ぶち込む必要があるかどうかは冷静に考えねばならない。
Master

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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戦争によって起こる悲劇の一幕としての出来は、決して悪くないと思う。四肢を失って、自分では何も出来なくなっているにもかかわらず「軍神」として祭り上げられる男、その家族の悲劇性や倒錯、その関係性からでるある種の滑稽さは良く表現されていた。例えば久蔵(大西信満)が望まない性交をシゲ子(寺島しのぶ)に強要された結果、自分が戦地で犯した罪を自覚するという流れは、これまであまりない流れであるとは思う。ベルリンを取った寺島の熱演もあり、見所がない作品ではない。

ただ、基本的には退屈で、若干の不快感も感じる作品でもある。

本作はあくまでも久蔵とシゲ子が住む村の中の話だけで完結させるべき作品で、基本的にはその通り作っているのだが、終戦に至る背景をわざわざ資料映像を使って説明する中で、原爆映像を使いその上に原爆による被害者数をスーパーで大写しで乗っけ、B・C級戦犯の処刑映像まで乗っけるというという大失策を犯している。この一連の映像が、本作のストーリーラインにおいてどのような意味を持たせたいのか明確に位置づけているとは思えない。二人が住む村の中では、戦争の進展とその結果というのは「村人が出征する」という点を除いて基本的に別世界の話であり、「小さい村にも戦争の悲劇が・・」という本筋からすれば、完全に浮いてしまっている。思想を盛り込むのは大いに結構なのだが、本作のストーリーラインからしたらこの表現は「無理筋」だと気づくべきだった。

その判断を若松監督に求めること自体が無理筋であろう事は想像に難くないが、シゲ子がのたくりながら逃げる久蔵を嘲笑したあのシーンの後すぐ、篠原勝之が「戦争が終わったー」とはしゃぐシーンに繋げるだけの冷静さは欲しかったと思う。

(2010.09.20 シネマ・ジャックアンドベティ)

(評価:★3)

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