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[コメント] 闇の列車、光の旅(2009/メキシコ=米)

シティ・オブ・ゴッド』を思わせる身も蓋も無い暴力。暴力によって区切られる境界と、暴力と自らを区切る境界。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







スマイリーが組織に加わる際の通過儀礼としてのリンチや、女の許に通っていたせいで見張り役を疎かにしたカスペル(と、連帯責任でスマイリー)への制裁として加えられる、十三秒間のリンチ。裏切り者となったカスペルを追うスマイリーに、組織の仲間たちがすぐに加わること。そして言うまでもなく、追っ手がカスペルを包囲しようとする、複数のシーン。組織が「数」によってその力を表現することで、暴力はカスペルらにとって、そこに居るかぎりそれを呼吸して生きていかざるを得ない「環境」であることが明確に理解される。

スマイリーの組織加入の通過儀礼としてはもう一つ、「敵を殺す」というものもあった。カスペルを追うシーンでは、敵の縄張りで彼らと顔を合わせただけで激しい銃撃戦が展開する。即ちここでは「境界」が暴力によって標しづけられている。その「境界」の中では、リルマゴも仲間思いのリーダーとしての顔、よき父親としての顔を覗かせるが、その一方、幼子をあやしながら、今から捕虜を殺すのだと、穏やかに語って聞かせたりもする。境界の内側である「幼子」と、外側に向けて行使される「処刑」は、まさに境界づけられていることによって、対面させられているわけだ。カスペルらの生活環境の冷酷さはここに端的に表れている。

「境界」の彼岸と此岸の距離の表れでもあろう銃による暴力に対し、組織内の掟の行使としての暴力は、素手による殴打や蹴りによって為される。カスペルがリルマゴを殺す際に用いられたのは鉈だったが、そのことでカスペルは、「敵/味方」の区別としての境界性そのものを断ち切ったのだと理解してもいいのではないか。それは勿論、「境界」の外で為された恋人との逢い引きに対してリルマゴが行なった暴力がきっかけなのだ。

ラストカットでサイラは、道中で父からしつこく暗唱させられた番号にかけ、受話器の向こうから聞こえる声の温度に涙する。ここから想起されるのは、自らの属していたギャング組織のリーダーを斬殺したカスペルが、走行する列車の上から携帯電話を捨てるカット。更にこのカットが、サイラの父が国境警備隊から逃れようとして列車の連結部に落ちて轢死したシーンを想起させる。連結部からの墜落もまた、「境界」という主題の悲劇的な表象として感じられもする。

カスペルの携帯にかかってきた処刑の予告や、彼が匿ってもらった女が実は組織と連絡していたことが明らかになるカットでの携帯は、共に、携帯の特徴である遍在性によって「出口無し」の状況を痛感させる。その一方、サイラが公衆電話からかける電話は、先の、死を予告する、取り囲む声とは対照的に、生の希望としての目的地という一点を感じさせる。ここでの、声とサイラの間にある「距離」は、それまでの、国境へ向かう旅の「距離」、死の危険を背中に感じながらの逃避行に於ける「距離」から一転し、温かな未来を約束する「距離」となるのだ。

ギャング同士の「敵/味方」は、体に刻まれた刺青によって示されていた。サイラが川を渡る際に下着姿にされていたのは、観客に、何も刻まれていない無垢な体を見せるためであったのではないか。片や、裏切り者カスペルを殺したスマイリーが刺青を入れていたのは、下唇の内側という、表からは分からない隠れた場所だった。ここに、彼の将来への一抹の希望が託されていたのだと感じられる。彼がカスペルを射殺したシーンでも、仲間たちによって更に無数の弾丸が撃ち込まれる光景と、それを目の当たりにして動揺した様子のスマイリーの表情を挿入することで、スマイリーを暴力に染めきらない配慮が為されている。それは、スマイリーが組織の命令を忠実に実行し、カスペルが確実に絶命するに充分な弾丸を撃ち込んでいたからこそ、その後に現れる、限度を超えた暴力性がより際立つのだ。

(評価:★3)

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