[コメント] オカンの嫁入り(2010/日)
基本的に人情話は好むところだし、大竹しのぶと宮崎あおいの親子の確執を描くならただのホームドラマでは済むまい、と大きな期待をもって臨んだ。確かに彼女らの醸し出す大阪人親子の、一筋縄ではいかない関係は楽しめたのだが…。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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またしてもここで、現代邦画の常套手段である泣きの黄金パターンが登場してしまうのだ。大竹の我が侭を許す理由は、腫瘍の転移により彼女があと数ヶ月の命だ、という理由からなのである。
さすがに語り手も、大竹の口を借りて「死ぬ母親だから結婚を許すというのなら、私はちっとも嬉しくない」と語ることはする。そしてもちろん、大竹の死の匂いはラストまで画面に漂うことはない。しかし、それでは新しい男を夫に迎える理由はあまりにも薄い。彼が大竹に惚れられた所以たる、彼なりの素晴らしさを宮崎に見せて欲しかった。しかし彼は天涯孤独の身であり、育ててくれた老婆の死により働く場を奪われたことを語るのみだ。元板前で料理が上手いことも、話に活かされていたとは言いがたい。國村隼の医者が二度のプロポーズを断られた理由は、宮崎の存在ゆえだという。では、死を前にしたからといって青年と契りあう理由は?このあたりは巧妙にはぐらかされている観がある。
これは女の意地の張り合いと和解の物語である。それは判るし、充分に評価できる。しかしそれが男の描写を薄っぺらにした上に成り立つなら、それは違うだろうと言わざるを得ないのだ。
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