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[コメント] オカンの嫁入り(2010/日)

どうせ『秋日和』だろとタカをくくっていると唐突に「國村隼宮崎あおいが自転車で二人乗り」という国民の夢が実現して慌てる。現在の宮崎は女優としての引力が強すぎるゆえ出演作を漏れなく自身のアイドル映画にしてしまう。ただし、ここでの「アイドル映画」に蔑称のニュアンスはいささかも含まれない。
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それは、宮崎が必ずしも演出意図に沿ったものではない魅力を放ってしまっているのではないか、と云い換えることもできる。彼女の芝居はもはや、俳優が留まるべき範を越えて演出家の域を侵してしまっているのではないか。いずれにせよ、演出家の制御を受け容れるという「技術」に優れた大竹しのぶのほうが「器用な」女優であることは間違いない。あるいは、このように私が云うのは、とうとう司葉子を頭の中から追い払えなかったためかもしれない。

さて、難病物のプロットを採用しておきながら、たかが「電車に乗る」やら「白無垢姿になる」やらをクライマックスに仕立ててしまう不遜に慎ましい演出は好ましいものではある。晴天の屋外シーンを少なからず持っているにもかかわらず、「早朝」の映画であることを印象づけるところの、わずかに曙光のみが存在するかのごとき薄明かり=薄暗がりの屋内ライティングや低温の空気感も悪くない。また、宮崎のトラウマとなる暴力(および、それに至るまでの)シーンも、たかだか半径二〇メートル程度の閉じた世界で映画が完結してしまうことをひとまず正当化するだけの迫真性を有していると思う(とは云え、回想シーンの長時間化を問題としない限りにおいては、林泰文が本性を見せるまでにはもう一段階踏んでほしい)。しかしながら、この映画は私にとって「好ましい」以上の何かではない。ただし、とりわけ現在においてはただの「好ましさ」が決して軽んじられない価値を持っているということも、封切りを追い掛ける一観客の実感として付け加えておきたい。

(評価:★3)

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