[コメント] 武士の家計簿(2010/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
現代なら「理系バカ」等の一言で葬り去られる事も多い人達が、その信念や実直が正当に評価される”居場所”を得る内容は好きだ。(ただ本作は偶発的な事件に助けられただけの気もするが)
ただ思い直すと、節々に残る恣意的(なんだか・・・難かしい言葉使うのって快感(笑))な表現がなんだか"イヤー"なのだ。
例えば、借金返済がやっと終わって、ほんの半秒だが、豪華になった弁当が「ほら皆さん、財政再建すればちゃーんとこの通り(略)」という様な画像が「突然画面に大アップになる」のが嫌なのだ。それほど明示的にしないといけないのだろうか? その最たるものが、ラストの算盤の「オールクリア」ではないだろうか。ああまで明示的にされると観てる方まで照れてくる。
そういう点で、本作には『伊能忠敬 子午線の夢』とどこかよく似た印象を受けた。ただ、本作が素晴らしかった点は、大島ミチルの音楽と、算盤ばかを演じた堺雅人、それにあのおばあちゃん草笛光子といった人々がいたところだと思う。
(ついでだけど、あれほど、仕事一本の人なら、終盤に藩そのものが解体され、定年(?)も既に迎えただろうあの時に、何を生き甲斐にして生きていたのだろう?とか思うが、本作はそういう点は不自然なまでに描写されていない。最後の言葉「城に行ってみたいのじゃ」は、うんと深い意味があったと思う・・・それについての掘り下げも欲しかった。)
子午線の夢というと、主人公の動機というものもやはり気になる。「こんなすごい人もいたんだ」もいいが、「なぜ彼はそうなったか」の方がストーリーとして面白い。150人もいた算盤武士には横流しに気付く者も他にいただろう。なぜ、彼だけが、あれほどの情熱をもってそれを解明したのだろう?自分と家族の立場を危険に晒してまで・・・それを納得させる部分が欲しかった。(例えば、我が子に拾った小銭を戻させるエピソードがある。ラスト付近で、実は彼自身も幼い頃同じな事があって・・・という様な話があったら等々)
※あと、全く余談だけど、財政が火の車の幕末の武士の場合、虎の子の家財道具を売り払ってでも借金残額を減らす・・・というのは、その精神的ダメージに比べて効果が少ない気がします。「この着物だけは」と童女の様に泣いてすがる母から着物をひっぺがすまではしなくてもよかったのでは?(現在の借金とは違って、当時の武士の借金返済には長期的な猶予が多かった気がします)
あの後、生活が暗くなったからか(?)家族が次々死去してしまうし・・・第一、猪山家のその後の隆盛の原因は、「財政改善」ではなく、子供への惜しみない愛と教育、厳しいまでの躾だったのではないでしょうか?
第一、当時の下級武士の生活は、あの程度の対策ではどっちみち間にあわないほどの厳しさだった気がします。本当に、家庭の財政再建を目指すなら、「節約」よりも「第二の収入」が効果的だったのでは?
例えば、「猪山そろばん塾」や「猪山お習字教室」を開くとか。何しろ、実力とクリーンさで藩のトップの人がやるんだから効果あったのにと思いました。(なんかものすごい脱線ですみません)。実際、幕末の大人・渡辺崋山は、あまりの貧乏さに、絵を書いて売って家族を養った・・・って、漫画『風雲児たち』の中盤に書いてありました(笑)
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (0 人) | 投票はまだありません |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。