[コメント] ウォール・ストリート(2010/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
前作『ウォール街』は1987年にリリース。公開後にまるで映画の内容をなぞるような「ブラック・マンデー」が発生したことからも、同作が如何に時代の空気、言うなれば金融業界の業を描きだしていたことかが窺い知れる。オリバー・ストーン曰く「金融不況を映画の興行に利用したといわれたがとんでもない。何しろ映画を作るのには1年以上かかるんだから」とのこと。このエピソードからも、オリバー・ストーンの時代を切り取る作家としての嗅覚は非常に信頼のおけるものであったと言えるし、そのセンスが反映された『ウォール街』はやはり、同氏のストイックな姿勢が貫かれた傑作であった。
さて、本作である。
舞台は2008年のNY。つまり、サブプライムローン問題やリーマンショックに端を発した一連の金融不況をテーマにしているのは元より明白なわけだが、前作が時代の空気を先取りしたのに対して、本作は問題が発生した後の2010年に公開されている。オリバー・ストーンの発言に基づけば、製作開始は2009年あたりだろうか。
おそらく、製作にあたり、彼はこう思ったはずだ。「いわんこっちゃない。もう20年近く前にこんな事態を俺は映画で警告していたじゃないか」と。諸悪の根源は何一つ変わってはいないのだ。そういった意味で、今の時代に改めて『ウォールストリート』を製作することは、皮肉をこめて、非常に意味のあるチャレンジではあったと思う。
さて、前作がオリバー・ストーン監督の父親(彼は證券マンだった)を投影したキャラクターの言葉をかりて、主に伝えていたメッセージというものがある。それは、金融業界というよりもアメリカ社会へのメッセージであったが、概ね下記の3点であったと僕は考えている。
1.具体的に何かを創りだすこと(ゲッコーが買収したエアラインの従業員たちに詰め寄られるシーンは印象的だった。日々のとるに足りない業務について「あんたには出来ないだろ?」と突き付けられたとき、普段は雄弁なゲッコーがだんまりしていまうのだから。)
2.長期的な視点にたって育てること(コンピューターの普及も手伝って、文字通りMONEYNEVERSLEEPSの状態となった。夜明け前のアメリカの海岸沿いで香港の株を売り買いする、みたいな事が可能になった世界ではより即時即物的な成功が求められた。よって、本来株式投資が有すべき長期的な成長戦略が欠けていった。)
3.モラルをもつこと(チャーリー・シーンの実父が、実生活そのままに息子に苦言を呈すシーンは印象的だ。)
そして、本作がストーリーの中心に据えているサブプライムローン金融不況については まさしく上記3点の欠如が生み出した人為的なカタストロフィであったと言える。本来であれば貧しくて貸し付け対象にならないような所得層に半ば強制的に貸付を行った。それは○自分たちでは何も創出せず…○短期的な視点で…○モラルを無視した…金融屋たちの拙速な錬金術と言えるだろう。
本作の製作を耳にした時にはそんな時流に対する気骨あるダメだし。『ウォール街』で指摘した通り、20年たった今もアメリカは本質的に何も成長しないまま過ちを犯している、という事態を改めて新しい物語で突き付けようとしているのではないか。時代の「先の後」をいった前作と比較すれば、本作は「後の後」、言ってみれば確実に後だしジャンケンになるが、それでも気骨あるテーマをオリバー・ストーンが描くことの期待感は確かに存在した。
しかし、その期待はあっさり裏切られることとなる。
はっきりいって、何処にも落とし処がない。誰も落とし前をつけていない。金融を隠れ蓑にした勧善懲悪のメロドラマ。しかも、描き方が以上に古くさくて、はっきり言えばダサい。
まず、根本的にこの作品がダメなのは、断罪されているのが敵役として登場する金融屋ばかりで、観客がシンパシーを寄せているゲッコーやシャイア・ラブーフには何のおとがめもないことだ。
前作では、観客とともにあり、その良識を最後には発揮させたチャーリー・シーンが、 しかしその犯してきた過ち故に当局に逮捕される。そのシーンは音を排除しまるで観客が自分の心臓の鼓動を聞こえるよう。ハンディカムを使用した臨場感ある撮影、チャーリー・シーンの情けない泣き面、迫真の名シーンであった。観客は自分たちが信頼を寄せ始めていたこの主人公が逮捕されるという事態をもって、事の重大さと業の深さ、果てのない欲望の末路をみるのである。
それが今回は、何やら大団円なハッピーエンド。けっ。気に入らねえ。「売り抜ける」とはまさにこのことを言うんじゃないの?本当に何の変哲もない、メロドラマだった。残念だね。
あとは、演出のダサさが目につくばかり。
○スプリットスクリーン:冒頭からこれみよがしに散見。まったく効果的ではない。前作では、金融情報が拡散し、それが一つの結果として収束する様をアップテンポなビート込で効果的に描いていたが、今回はただただ画面を複数に割っただけに過ぎない。
○同僚の顔をコラージュ:シャイアとキャリーが車に乗っているシーン。同僚からの電話にシャイアが対応。そこで同僚の顔がキャリーの顔の位置にコラージュされる。なに、このダサい演出。最低。
○説明的すぎるゲッコーの演説とシャイアのプレゼン。金融のお勉強がしたくて映画館にわざわざ足を運んだわけではない。
○チャーリー・シーン。前作の結末を考えれば、これじゃあ完全な人格破綻者にみえる。彼が過ごしてきた20年はいったいどんなものだったんだろうか。
などなど。
ちなみに、知人の中で、特に普段は映画に興味があるというわけでもない女友達が二人もこの映画を見に行っていたので、なんで観に行ったのかと聞いたら「マネーゲームが観たかった」とのこと。予想に反して、メロドラマで肩透かしだったとさオリバー!
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