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[コメント] ヘヴンズ ストーリー(2010/日)

時間経過の演出の下手さや、各章のタイトル部分の中学生のポエムじみた幼さ、あからさまな寓意が見てとれる箇所には鼻白むが、急がず各シーンを見せつつも変化に充ちたストーリーテリングで長尺をもたせる。だが手持ちカメラでリアルぶる撮影が鬱陶しい。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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終始、手持ちカメラでグラグラと被写体を追ったり、一瞬を捉えるように急速なズームを行なうことで「臨場感」をもって撮っているつもりらしいこの手の撮影手法にはもううんざりだ(許せるのは『第9地区』くらい)。この手持ちカメラの手法も、さすがにこの長尺に付き合っているうちにそれなりに馴染んではくるのだが、最後の第9章「ヘヴンズ ストーリー」でサト(寉岡萌希)の前に、かつて殺された家族が仮面劇の演じ手として姿を現すシーンくらいは、きちんとフィックスショット、ないしはそれに準じる手法で撮るべきだろう。幻想シーンにまで「リアル」な「臨場感」を演出しても却って違和感しか残らない。こういうのをバカの一つ覚えというんだよ。

4時間40分をそれなりに飽きずに観ていられたのは褒めてあげた方がいいのだろうか。連続ドラマでも各話を合計したらこの程度の時間にはなるので大したことではないと言いたい。この長尺の割には妙に密度が薄い印象があるのは、例えばミツオ(忍成修吾)がクリスマスに病床の恭子(山崎ハコ)に別れを告げてしばらく旅に出ていた時間経過が全然感じられないことだとか、物語上で長い時間が経過していても、繰り返し現れる青空に桜のカットがどれも、いかにも「同じ日に撮ったものを全篇で使いまわしています」といった平板な印象であることなどに表われている、「時間」の演出への意識の低さが一因ではある。

それに、トモキ(長谷川朝晴)の人物造形は明らかに特定の実在人物をモデルにしているのがまる分かりであり、そんな状態で彼の感情の揺れ動きや、妻子の殺害などを描いていくのだが、これにはフィクションの横暴を感じる。演出のみならず脚本の方もかなり生硬な印象があるのだが、この脚本家には、現実から自らの描くべき要素を抽出してフィクションとして加工する想像力など無いのだろう。そうした想像力が無いということと、テーマをより深く掘り下げる思考力が無いこととは表裏一体なのだと思う。

自宅でしかオシッコができなかった幼い頃のサト(本多叶奈)が、ショーウインドウの中のテレビでトモキの記者会見を目にし、妻子を殺した少年を自分の手の届く所へ出してくれ、この手で殺します、と心情を吐露する光景に涙しつつオシッコを漏らすシーンは、つまり家族を失った彼女にとって、「復讐」という行為は家族を取り戻す希望のように思えたからなのだろう。だから、「自宅」に帰ったかのようにオシッコが漏れる。これはまた、終盤、ミツオを撃った直後にカナ(江口のりこ)が破水するシーンとのアナロジーでもあるだろう。実際、カナが病院で出産するシーンと、ミツオに刺されたトモキを担いでサトが歩くシーンが交互に映され、カナとサト、それぞれの必死の表情や、苦しげに喘ぐ呼吸が重なる。

重なるといえばタエ(菜葉菜)とカナも、その性格から顔立ちまで酷似していて紛らわしいくらいだが、鍵屋として呼んだのが縁でトモキと結婚したらしいタエは、幼い娘といる時は性格が一変していて、実に微笑ましい遣り取りを見せてくれる。最後にカナにも出産させたのは、彼女もタエと同じく、新しい生命によって朗らかさを得るだろうという希望が込められてでもいたのだろうか。彼女の性格からすれば、幼児虐待くらいはやりかねない感じもするのだが。

人形作家の恭子が若年性アルツハイマーに罹り、自身が人形のようになってしまうこと。映画の冒頭から登場する人形舞台や、終盤の仮面劇(人形と同じような白い仮面を着けている)と併せて何やら意味ありげには見えるが、要は「人間は皆、同じような運命の下にある」とか何とかいった程度のことなのかとも思える。冒頭の人形劇に被さるナレーションは、「人々から怖れられる化け物は元々、仲間が欲しかっただけなのだけど、人が彼を怖れるので、化け物は人を襲い、その人間を化け物に変えてしまうことで仲間を得ていった」と、要は化け物が殺人者ということですねと簡単に了解できる寓話。復讐という行為は実は、本人たちの意識とは関わりなく、同一化への欲望が秘められているのだというテーマは、例えば『オールドボーイ』などでも見てとれた、割とありふれたテーマではある。

それにしても、恭子の死は不慮の事故なのだが、身動きできない病人にビニールを被せたら窒息することくらい誰でも予測できそうなものだ。まぁ、この後でミツオにトモキが「これで僕の気持ちが分かっただろう」と電話を通して伝えるシーンに見られるように、復讐という視点からは殺されて当然と見做されるミツオではなく恭子が「不当に」命を奪われてこそ、ミツオにトモキの「気持ち」が伝達されることにもなるのだが、あまり細部を気にしない脚本なんだなとは感じざるを得ない。

細部という点で最も気になるのが、幼いサトが両親や姉と住宅街を見に行くシーン。お気に入りの靴が履けなかったサトはずっと不機嫌にふさぎ込んでいて、それを姉が励ましたりするのだが、この家族らの朗らかさとサトの不機嫌は、三人が殺されたことでサトが感じたであろう、遺された者としての一種の自責の念や後悔に似た感情を演出するのには効果的ではある。だが、サトが家族といる間、一人だけ暗い表情を続けていることで、もとよりサトが、家族の中でも孤独だったかのような印象さえ与えてしまう。これは、復讐という大事なテーマを損なってしまう。家族の笑顔によっていつしかサトも笑顔を取り戻す、といったシーンが明確に描かれていて然るべきであるし、脚本に書かれていなくとも現場で何とかできる話だろう。

住宅街が「天国のよう」という台詞の大仰さは、取って付けたような、いかにも頭で設計図を描いて書いた感じがしてしまう。そして最後のエンディング曲、監督によるあまりに直截な歌詞が最悪。新興の住宅街が、かつて炭鉱で栄えたのが廃墟と化した住宅街と対比される辺りは面白いのだが、これはもっと象徴的な意味合いを与えて活かすことができたのではないか。

(評価:★3)

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