[コメント] 幸せの始まりは(2010/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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自分でもよくわからないのだが、なぜか彼女には≪溌剌≫がドレスを着て歩いてるような魅力を感じる。顔の作りがというより、表情がとても美しいのだ(截然と区別できているわけでもないのだが)。映画によく出てくる女優さんでは、ヘレナ・ボナム・カーターと対極の存在だが、それはまあいいか。さて。
◇ ◇
アメリカ人の精神的な健全さと、健全であるがゆえの芯の強さを体現してきたし、また体現することが期待されているリーズ・ウィザースプーン(=リサ。だが役名は何であれ)が、お気楽なプレイボーイで女性を楽しませくつろがせる術はよく知っているが本質には男権主義的な面があって顔を使い分けているだけにすぎないマティ(オーウェン・ウィルソン)をではなく、誠実さという一枚仮面を使い続けているうちにそれが(たぶん)本性になってしまったジョージ(ポール・ラッド)の方を選びそうであることは、見る前からわかりそうなものではある(←長)。当然のことながら、そこに至るまでのドラマ行程からどれだけカタルシスを得られるかという問題なわけだ。
意外性が必要なわけだが、期待される予定調和を大きく踏み越えるような満足感に乏しい、というのが率直な感想。うまく言えないけど。ジョージの台詞に「自分で処理しきれないほどの問題を抱えると、解決しようとするのではなく、ただ耐えるようになってしまう(から、これ以上問題を抱えたくない)」という、まあ、その通りなんだが、耐えること=悪、ではなく、人間耐えることも必要だというだけなんだけれど、まったく納得いかない価値観を一方的に(=論理的帰結としてでなく)押し付けられたような不快感もあったりして、映画作品としては75点(←また長)。
が、『キューティ・ブロンド2』以来、久々にスクリーンでリーズにお目にかかれたので、映画体験としては甘く80点。
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