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[コメント] 八日目の蝉(2011/日)

親子だけを問う作品ではなく、親子を包む社会も問うた作品だったからこそ、成功しているように思います。ただ・・・、NHKのドラマが秀作過ぎました。
のぶれば

**ネタバレ注意**
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本当は、この作品、親子とは?を問いかけながらも、実はそのほかの人間関係で親子が支えられていることを描きたかったのではと思います。その点で、私にとってはこの作品は、ドラマも映画も、実の親子であれ、偽の親子であれ、親子は周りに認められなければ成立は不可能というメッセージを発信していたように思うのです。

どんなに、周囲に目もくれず誘拐した子どもと二人で生きようとしても、それが無理であり、ただのエゴに終わっていたであろうことは明らかです。前半、身を落ち着かせるまでの不安な描写はそれを物語っています。安堵できる場所は、ホテルの密室ではなく、存在を認めてくれる人がいる場所であり、それを見つけられるかどうかが死活問題とさえ思えたほどです。

その点、周囲との人間関係が希薄になりつつある現代において、周囲の支えを描いたことが、作品を成功させているといっても過言ではないでしょう。テーマは親子よりもむしろ、親子を包む社会ではなかったでしょうか。偽りの親子でさえ受け止められる社会であること、私たちは、そこに救われてこの作品を観ることができたのを忘れてはいけません。

さて、実はこの作品、原作を読んでいませんが、6話渡るNHKドラマが秀作でした。 そのため、小豆島の情景をはじめ、重要な多くのシーンで、イメージはNHKドラマが勝ってしまい、映画のシーンは色褪せて見えてしまいました。

そかし、NHKドラマより映画が勝っていたシーンは、泣き叫ぶ赤ちゃんに困惑してしまうホテルでのシーンです。そこでの孤独感はドラマではあまり描かれていませんでした。もし、本当にこの作品が偽りの親子だけのものとして描かれていたら、途方に暮れるホテルのシーンが延々と繰り返されるしかなかったでしょう。

でもこの作品には幸運にも、偽の親子であっても、実の親子として受け入れてくれた多くの人たちがいました。ドラマでは映画よりそこを深く描いてました。誘拐したばかりで駆け込んだ薬局のおばさん、同級生、ゴミ屋敷に住む女性、エンジェルホーム、小豆島の人…だれもが、偽りの親子を支えてくれていました。映画には作品時間的な制約もあるのでしょうが、人とのつながり、支えあいはドラマの方がよく見てとれます。伝えたいことは、ドラマでも映画でも同じだったのでしょうが、ドラマを見てしまった以上、どうしても映画ではそこが色褪せて見えてしまいました。

映画には、成人した恵理菜と誘拐犯の希和子、もう少し接近していてよかったのではないかという思いが残ります。その分、小豆島に行く動機づけが弱いように感じました。何でもいい、何か一つ、事件の記憶や事実が、薫と呼ばれていた彼女を突き動かしてほしかったです。ドラマとの大きな違いでしたね。

子どもへの虐待や誘拐事件が多く報道される昨今ですが、私たちは「親子」を支えることができる社会を作れているのかどうか・・・。それを考えさせられた作品でした。NHKドラマを見ていなければ、☆4になっていた気がして候。

(評価:★3)

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