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[コメント] 手塚治虫のブッダ 赤い砂漠よ!美しく(2011/日)

邦画スペクタクルの復権はこのアニメ映画より成る。くどいばかりに陰影を刻まれた登場人物の描写、例外なき登場人物の人工的なヴォイスアクト、大島ミチルによる催涙ハッタリ音楽。全ては80年代アニメ黄金時代へのあからさまな回帰を意味し、しかもそれはジブリの回顧ドラマツルギーとは全く別のベクトルへと「前進」する。真に潔い。
水那岐

ここまで「俗」を極める児童向けアニメーションが、この21世紀に至ってなお1980年代の色彩を纏い、我々に何が悪いか、と嘯いているかのような作劇法を誇り恥じることをしない、そういう態度が嬉しい作品である。

それは声優においてもそうだ。吉永小百合という女優にしてからが、デビュー以来ずっとガラス細工のように外界の暴力やエロスから隔絶されたいびつな花だ。彼女をめぐる人々が、もはや劇場用アニメから駆逐されつつある職業声優たちによって固められているのも驚くには当たらない。作者サイドの考えか無意識ゆえかは問題ではなく、この作品は現在アーティスティックな作品と見做される数多の「子供に与えたい」とされるアニメに敢然と喧嘩を売っているのだから。

残酷な罰と死は物語のここそこに適度にリアルに、適度にデフォルメされたまま転がっている。それは主人公シッダールタの出家を促させる演出として適度なものだ。この作品を見つめながら、「手塚治虫のブッダ」というタイトルを反芻し、この絵をもってどこが手塚治虫か、とのフラストレーションに揺り動かされた自分ではあるが、言うまでもなくそれは迂闊な憤懣だった。ここに描かれた絵はあきらかに、外国アニメには登場しない手塚の子供たちの筆になる「漫画」であり、それは日本民族のパッションを吐露するに最も適した「依代」であるキャラクターであったからだ。

手塚の早逝は未だにもって残念ではあるが、その後継者が鬼子たるジブリではなく、こうした正統的な手塚の子等となっている事実は、完全なる手塚信者ではない自分にも喜ばしいことであった。ひそかに杯を挙げる所以である。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)死ぬまでシネマ[*]

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