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[コメント] アリス・クリードの失踪(2009/英)

所詮は英国映画、という偏見を拭う出来に至っていないのは、たとえばキャスティングが次善ではあっても最善ではないから。彼ら全員が(と云っても三名だけですが)どうなろうと知ったこっちゃないよ、と思えてしまう。脚本には書き込み得ない俳優のパーソナリティの魅力が作中人物には滲んでいてほしい。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







安直かつ現在の年齢を無視して例を挙げれば、このダニー役を演じているのがイーサン・ホークだったら、それだけで映画の面白さは二割増していたのではないか。どんなに下衆な犯罪を行っていても、思わず応援したくなってしまうような「弱さ」を表情の奥で表現できる俳優だからだ。もっとも、「キャラクタ性に頼らない」「すべてが脚本家・演出家の想定の域に収まっている」という意味も含めて、これは純粋に状況のサスペンスを目指した映画だという云い方も一応できる。

ところで、一見きわめてシンプルな作りのこの映画が意外なほど古典性を感じさせないこと(これはこの映画に特有の面白さと大きく重なるものでもあるのですが)に関しては、次の点を指摘しておく。まず、マーティン・コムストンエディ・マーサンのホモセクシュアル関係を匂わせるに留めず、明示している点。とりわけ映画のような表現においては、他者の介入を許さない同性同士の集合は潜在的にホモセクシュアルの志向を持つことが多く、それを行為として示してしまうのは古典的な奥ゆかしさからは程遠い(まあ、そのような「古典」の「奥ゆかしさ」は、直截的にはヘイズ・コードなどの規制や当時の社会通念がもたらしたものなのかもしれませんが。いずれにせよ、個人的には『レザボア・ドッグス』などでさえ露骨すぎるんでないのと思っております)。

次に、ジェマ・アータートンのキャラクタ造型。意志的とか能動的とか云えば聞こえはよいし、それは確かに現代的でもあるのかもしれないけれども、はっきり云ってこのアータートンはあまり性格がよろしい人ではない。〈被害者の女性を現実には存在しないだろうというほどの純粋無垢な「聖処女」に仕立てる。その無垢の振舞いによって犯人一味に憐みと自責の念を勝手に催させ、結果的に自滅を促す。女性は事態を理解しているのかいないのかも判然としない風情で漁夫の利(身代金)を得て、どこかへ消え去る〉としたほうが、古典的な映画としての収まりはよく、犯罪男の馬鹿っぷりも強調されるだろう。もちろん、よほど繊細に演出しない限り、これはほとんど女性蔑視と紙一重(あるいはイコール)の造型となる危うさもある。そういう点も勘定に入れて云えば、今の映画が古典性を目指す必要なんて別にないのだけれども。

(評価:★3)

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