[コメント] トランスフォーマー ダークサイド・ムーン(2011/米)
冒頭の、宇宙開発にまつわる裏事情を描写するシークェンスでの、ニクソンさえもが堂々たる大統領ぶりを見せる様や、「嬉々として」行なっている印象のあるオバマのチラ見せ、ディセプティコンの襲撃シークェンスでの、ニューヨークの惨状がそのまま地球規模の危機であるかのような、他地域の完全無視(予算や時間の都合による割愛ですか?)、等々、ベイの政治的な無邪気さは大人の振る舞いとして疑問を覚えざるを得ない中学生レベルのそれであるように思える。トランプタワーが敵の中枢と化すところなど、オバマの出生へのいちゃもんをつけたトランプ氏が『ライオン・キング』のビデオでオバマからしっぺ返しを食らったのを更に踏みつけてやりたかったのだろうかと、詰まらぬことを想像させられてしまう。ボロボロになりながらも風にはためく星条旗にも、市井の人々の目線で民主主義を描いた『スパイダーマン』の星条旗のようには素直に肯定的に見る気になれない。
『アバター』と同じフュージョン・カメラを用いて撮影されたとのことだが、『アバター』と比べて3D感が幾らか見劣りしている気がしたのは、当方が3Dに慣れてしまったせいなのだろうか。特に人間の立体感(中でも顔のそれ)でかなり差がついているように思えたのだが、或いはカメラの微妙な調節で違いが生じたのかも知れない。『アバター』では、ゴルフボールをパターで転がして飲み物用のカップに入れる、といった何気ない日常的なカットでの立体感が面白かったので、現代のアメリカを舞台にした本作ではそうしたシーンがたっぷり味わえるかと期待していたが、肩透かし。
街を蹂躙するディセプティコンが逃げ惑う人々を容赦なく虫ケラのように殺していくシーンには「おぉ、製作総指揮・スティーヴン・スピルバーグ!」といった感もあるが、ファミリー向け作品としての遠慮なのか、或いは単に演出力の問題のみなのか、絶望感や恐怖が全然足りない。というか、無い。『宇宙戦争』(2005年)のように人類目線のカットではないというのも大きいのだが、人間が熱で砕け散る様を大写しには出来ないという自主規制か?結果、『宇宙戦争』と『ファンタスティック・プラネット』の人類駆除シーンを足して2で割ったような、どっちつかずの不能な画になってしまった。「カットが撮れていない」とはまさにこういうこと。
そうした油断という意味では、金属生命体さんたちの凄絶な戦場となった街で、オプティマスの背後を普通に電車が走るカットがあったのには、目を疑った。いや、現実的に考えればむしろ、危険と移動速度を天秤にかけて敢えて電車を走らす判断もあり得るし、シーンのタイミングを考えれば、事態が収束しているようなので走らせましたということかとも思えるが、先述したように市民目線の描写がほぼ皆無なので(それが絶望感の希薄さにも繋がる。登場人物目線の描写は勿論ふんだんにあるが)、一カットの印象として、今電車が走っていい場面か?という違和感が拭えない。
一方、街のビル群を生かした画作りは立派。ビルのように長い物体が写ると、3Dの奥行き・立体感が明瞭に画になるのだ。ここのところはもっともっとやってくれてもよかったのだが。そこはもう『アメイジング・スパイダーマン』に期待しておこう。ビルの倒壊という事態に登場人物らが必死に耐える様は9.11後のアメリカ映画のひとつの意地なのだろうかとも思える。ビル群の間の宙に重々しい飛行物体が浮かんでいることで、日常的な風景が一気に様相を変える画は、金属生命体同士の死闘よりも映画的興奮を味わわせてくれる。とはいえ、縦の構図の中に飛行体が集合してくるカットという点でも、やはり『アバター』の勝利という印象。ミサイル飛行カットのような奥行き感の演出はもっと欲しい。
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