[コメント] ツリー・オブ・ライフ(2011/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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ある家族、やたら権力行使する父親、やたら神を敬愛する母親、そんな下で生きていく兄弟3人たちの家族史である。これだけの話を、哲学っぽい映像でこねくり回し何か高みの芸術へと導こうとでも思えるような示唆的な映像の羅列に僕は唖然とする。
冒頭にヨブ記を持ってくる。大多数の日本人ならいざ知らずアメリカ人だったら毎週聞かされているキリスト教講話である。それは恐らく耳にタコができている種類の話であろう。何なんだ今さら、と思う人も多かったのではないか。
そして、宇宙の始まりから生命、人類の誕生に至るとても映画の中と思えないドキュメンタリータッチの映像が20分ほど続く。随分マリックって失礼な人だと思う。劇映画のなかに20分もNHKスペシャル的なものを入れないと人間は今の自分の形成、存在の意味を理解できないと思っているのだろうか、、。そうだとすればかなりの思い上がりだ。
自分の夢を達成できなかった哀れな父親(でもそれってかなり普通)、そして息子に自分の出来なかったことを強要する父親の姿を不快に思う息子たち。一方そういう夫に神への思慕という逃避のもと、弾劾さえできなかった妻は結局は父親と同じことを息子たちにしてしまっていることさえ気づかない。とはいえ、歳月さえ過ぎれば息子は父親といつかは和解し自分も父親と同じ存在になって行くものなのだ。
この家族物語をただ他の映画と同様、一つずつ紡いでおけばいいものを、マリックは今さらと言ったら失礼だろうが、急に神の存在を問い始める。
しかし、例えばベルイマンのように執拗に神の不在を狂わんばかりにに訴えることはない。そう、そこには日曜礼拝のような日常の中で神の存在を問おうとする。(見かけは神を賛美しているように見えるが実はそうではない。不在感は散見される)
でも急に出現するあの、天上の河のようなところで既に死んだ家族と邂逅するシーンは何なんだろうか。映画的にはここでバランスを崩していると思います。
こういう映画は自分の頭の中の想念としては正しいのかもしれませんが、それをわざわざ映像化する必要はないのではないか、そんな気がするのです。かく言う僕は、実は今日かなりコテンパンにこの作品をけなしているようですが、実は彼の『天国の日々』、『シン・レッド・ライン』を信望している一ファンなんですよ。
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