[コメント] キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー(2011/米)
原作での彼はあくまでアメリカの理想=「秩序のある自由・どんな民族にも与えられる平等な人権・そして弱い者に手を差し伸べれる博愛精神」を追求し、それに向けた社会貢献を目的としたキャラクターであって決してアメリカ政府の新自由主義的な意味での正義を妄信するキャラクターではない。
時にアメリカ政府が彼の信念に反すれば彼は政府を敵にして戦うのだ。
ましてや彼は戦争なんて絶対に好んでいない。
それはなぜかといえば、もう二度と第二次大戦の地獄をみたくないからである。
彼は当時敵国兵士であったナチスの兵士にも日本軍の兵士にも敬意を表している。
よくバトル漫画にでてくる正々堂々とした武人キャラだとおもったらありがたい。
そして、正直言ってこの映画もアメリカ万歳映画というよりも古く懐かしい戦争がまだ活劇の舞台であることが許された時代・正々堂々とした戦争があると思われた時代へのノスタルジーの延長線上で作られた作品でしかない。
ここからはこの映画への批評になるのだが、所詮この映画はやはりノスタルジーに過ぎない。
同じ監督のロケッティアに比べれば幾分か映画的にも見劣りしてしまい、やや古臭く感じる映画だ。
俺はもっといえばこの映画に原作のキャプテンアメリカが語ったそういった地獄を映画で描くべきではなかったのかと思う。
例えばキャプテンアメリカ:ニューディールというコミックで彼は初めて遭遇した戦場での出来事を回想する。
彼は今まで、戦場には高潔な何かがあると思っていたのだろう。
恐らく、戦場のどこかにはそういう敵味方をこえた友情が生まれる可能性だってある。
だが、あるのは死と破壊だけだ。
当然のごとく広がる死骸と廃墟に彼は戸惑う。
そんな凄惨な戦場での死という現実に直面し呆然とする彼を姿をみた、通りすがりの先輩兵士はただただ、一言だけいう「なれろ」と。
この時、彼の人生は決まってしまったのだ。
それまでウブな愛国坊やだった彼はここで戦争の現実=死と破壊に気がついた。
その後彼の人生は決まったのだ、二度と絶対に第二次大戦のようなことを起こしてはならない。
この映画ではそういった現実的要素を廃し、あくまでノスタルジーに浸る冒険活劇映画にしたいのだろうしそういった映画もあってもいいとはおもう。
だが、俺がみたかったキャプテンアメリカはプライベートライアンのような戦場を走り地獄を経験し、宿敵レッドスカルの野望を打ち砕く誇りと気高い信念を持った正真正銘の武人=ヒーローになるキャプテン・アメリカの成長だ。
そうすればちったぁ、キャップの誤解もとけるんじゃないだろうか。
あと、余計なことを言うようだがヒューゴ・ウィービングのレッドスカルも悪くないけど、クリストフ・ヴァルツにやってほしかったなぁ。
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