[コメント] J・エドガー(2011/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
老境に達してからますますそのチャレンジ度合いを増しているイーストウッド監督による歴史的作品。伝記としては型破りの功罪併せ持つFBI創設者のフーバーに焦点を当て、それを出来るだけ冷静な目で見つめた作品に仕上げている。
ただ、冷静とは言っても、冷静に描けば描くほどフーバーという人物は鼻持ちならない人間になってしまうのは致し方のないところ。特に自由を重要視する映画人にとっては、アメリカの自由を制限するFBIはそのまま敵のようなもので、その被害を実際に受け続けてきたイーストウッドだからこそ作り得た作品とも言える。特に時代の流れの中でアメリカという国を描き続けてきたイーストウッドの面目躍如と言えるだろう。
この作品の巧さは、ここでFBIに対してもフーバーに対しても一言も文句は言ってない(せいぜいフーバーがゲイだったと言ってるところくらい)のだが、むしろ正義側に立たせているのだが、それが大変皮肉っぽく見えてしまうと言うこと。彼は口ではアメリカの自由を守るためにFBIを設立し、その結果自由の国アメリカが出来たということになっているのだが、今やスパイ大国となったアメリカが本当に自由と言えるのか?と言う事を突きつけようとしたようでもある。結局この作品を観て“自由”というものを考えさせようとしたのが本作の大きな特徴とも言えるだろう。
自由を得るためにほんの僅かな不自由を覚悟せよ。少しずつその不自由は増えていくが、馴れていく内にこれが自由と思えるようになるから。それが今のアメリカ、いやネット社会にある世界の姿とも言える。この作品は単に一人の人間を描くだけでなく、自由という言葉の意味が変質している事を伝えようとしたかにも思えてくる。
かつてイーストウッドは『パーフェクト・ワールド』、『ミスティック・リバー』、『父親たちの星条旗』と言った作品を通してアメリカ人にとっての自由とはどんなものなのかを描き続けてきたが、これは歴史を振り返ることによって自由を考えた作品と言えるだろう。
ただ、それとは関係なく、ここに描かれるフーバーの生き方というのはとても面白いものがある。かつて押井守が『機動警察パトレイバー2 THE MOVIE』(1993)で戦後の日本人を「何もしない神様」と称したことがあった。世界の全てを画面の向こうに観て、安全な場所から全てを眺めるだけの日本人を揶揄していたことがあったが、その意味における「神様」の最先端にいたのがエドガーだったとも言える。いや、極端に言ってしまうと、政治好きのオタクの理想的な姿といった方が良いか。
人の知らない政治家の情報を握り、自分は安全なところで口を挟むだけ。それで部下の手柄は全て自分のもの。たとえ相手が誰であっても、相手の弱みを握っているので対等以上の口利きが出来る。そして得られるのは充分に豊かな生活と狭い世界での賞賛…オタが求めるものを何でもかんでも持ってる。
更に素晴らしいのは、そんな秘密だらけの生活をしていながら、心から語り合える友がおり、更に自分が死んだ時は秘密を全て消し去ってくれる人がいる…羨ましいというか何というか。これがオタクの“生き方”であり、“逝き方”でもある。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (3 人) | [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。