[コメント] ものすごくうるさくて、ありえないほど近い(2011/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
誰にでも親はありますが、父と母では全く異なる存在です。
この映画でも同じスタンス。
僕の母はとても感情的で感性の人。感覚の人と申しますか、プライドだけは高くて、人の心はどうでもよい。
極端に比較すると、最近直木賞を受賞した「冥土めぐり」に出てくる母親のようです。
だからその血を受け継いだ僕も感情的になると止まらない。血は争えない。
大して父は寡黙な人。黙って態度で示す人。でも怒ると怖い。怖いから近寄れない。でもどうしても尊敬してしまう。彼の苦労が滲み出す姿。
その両親ともに接する機会を失って相当の年月が経過しました。
ああ、この映画を見るにつけ、そんな自分の親のことを思い起こしてしまいます。
そしてもっと強烈なインパクトでこの映画を導いてくれる人。
予備知識もなくこの映画を見て、本当にこのおじいさんがマックス・フォン・シドーであるかどうか疑いましたが、紛れもなくマックス・フォン・シドーでしたね。
あのイングマル・ベルイマン監督のもとで開花し、『エクソシスト』の神父。あのマックス・フォン・シドー。知的で優しくて愛すべき人。
彼がこの映画の主人公の少年と過ごす時間がこの映画の中心に据えられていますね。
もうこれは奇跡です。
主人公の少年の演技も見事。
親との距離が子供の喪失感を生み出すとしたら、この映画でこの少年は、大好きな父親(トム・ハンクス)が911で貿易センタービルから自宅に電話したとき、その場所にいたのに、怖くて電話に出られなかった恐怖がトラウマとなってしまったことが原因になっているのでしょうね。
自分にも思い出があります。
病弱だった僕が夜中に咳が止まらず泣いて泣いて寝られなかった。母も父も僕を看病してくれるんだけど、大雨の中、父が出かけて行くんですね。その父が出かけていった悲しさで涙が止まらなかった。でも父はどこか病院を回って、自分を受け入れてくれるところを探してたんですね。この気持ち。
喪失感は誰にでもある。
しかし突然訪れる恐怖が子供の心に襲い掛かったら、それは精神を崩す要因になるでしょうね。
結局、父が残した鍵を差し込む鍵穴は見つからなかった。
喪失感を埋める穴は開いたままですね。
でもそれを補う存在として、対立していた母親との和解でこの映画は終わる。
穴埋めは誰にでもできることではないんですね。
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