[コメント] ヒューゴの不思議な発明(2011/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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これまでのフィルモグラフィを見てもスコセッシ監督の挑戦には一目置かされる。
ジャンルを特定せず、質の高い作品を次々と作り続けているが、今度の挑戦はなんと児童文学という。しかもトレーラーを観る限り、その内容はメリエスを主題とした映画ファンにとっては感涙ものっぽい。
是非観てみたい。
まさしくわくわくさせてくれるような作品が観られるのでは?という思いで映画館へと向かった。
…でも、何か前の『シャッター アイランド』を観たときと同じような気分にさせられてしまった。あの時もすごく期待して観に行ったものの、望みのものが与えられずにもやっとした気分にさせられたものだ。
この作品にしても決して質は低くない。むしろかなり高水準にまとまった作品ではある。少なくとも演出に関しては円熟の域を越え、まだまだ新しいものを作ろうという監督の意地というか、執念を感じさせてくれるものであるし、確かに映画好きというのが画面の端々から感じ取れる。児童文学の映画化としては水準以上の出来とは言えよう。 でも、なんだかちょっと物足りない。スコセッシならもう少し違った作り方だってできたんじゃないのか?これだったらどんな監督が作っても同じレベルのものが作れる。本当にスコセッシ向きの作品だったのか?
と、いろいろ考えた。実際ここで唐突にクリストファー・リーとかカメオ出演してるジョニー・デップとかいるのを観てみると、かつて『エド・ウッド』(1994)作ってくれた経験がある分、スコセッシではなくティム・バートンに作らせた方が良かった素材だったような?むしろその方が毒気を入れてくれて楽しいものに出来たような気がする。
この作品で最も残念なのは伏線の消化が全然出来ていなかったことだろうか。伏線の使い方の下手さは『シャッター アイランド』も同様なのだが、あの作品の場合、ラストシーンに向かう単一アイディアとは言え、伏線は伏線として成り立っていた。一方本作の場合、一見伏線に見えて全くそれが活かされてなかったのが痛い。例えばヒューゴの父親は物語に関わりそうでいて全く関わってなかったし、メリエスが作ったと言う自動人形の役割は単純に絵を描くだけ。あれだけ世を拗ねていたパパ・ジョルジュが自分の映画見せられただけで簡単に変わってしまう。あれだけ嫌味だった鉄道警察官が本当に単に嫌な奴で終わってしまった。そもそも主人公のヒューゴは単なる手先の器用なだけの少年であり、なんの発明もしてなかった。などなど。伏線と思われたものは多々あった割に全然それが活かされておらず。パリを舞台にしているのに登場人物がほとんど(主要人物は一人も)フランス人俳優がいなかった理由もよく分からない。
ところで本作の特徴と言えるメリエスだが、この程度の描き方であるなら押井守の『トーキング・ヘッド』(1992)の方がまだ詳しく説明されている位だ。スコセッシは本当にメリエスのことが好きだったんだろうか?それよりは『アビエイター』の時みたいに紆余曲折ある映画人の一生を描いた作品にすべきだったんじゃないだろうかな?何もこども向きにする必要が無かっただろうな。残念な作品である。スコセッシにとって思い入れのある人物であったとするならば、それをもっとストレートに出して欲しかったものだ。
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