[コメント] 女を忘れろ(1959/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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元プロボクサーというのは裏社会では引く手数多なのだなあという物語の駆動軸は判りやすい。しかし元プロボクサーは喧嘩してもいいのだろうか。喧嘩して負けているのは面白いのだが。一方、これもよくある描写だが、旭の叩くジャズドラムはどう聴いても一流にもかかわらず、キャバレーでの演奏が終わっても客の拍手もなく、素人だと疎んじられて馘になる展開は解せない(馘はサボったからでもあるが)。
南田洋子の年下の旭への想いは、深夜の駅で待ち合わせする旭の優しさで伝わる。しかし一方、ブルジョア嬢の浅丘ルリ子が数度の金銭指南だけで旭にゾッコンになるのは判り難い。失明した相手ボクサー牧真介の面倒見るなんてベタは別に悪くはないが大した絡みもなく、登場人物をイタズラに増やしただけのように見えた。
旭の留守に浅丘が訪ねてきて南田(部屋の外廊下の水道で髪洗っているのがいい)に、お姉さんですねと云う。夜に南田は旭に、いつ私の弟になったのと詰る。旭は知るもんか、きっとそう見えたんだろと反論する。映画は結局、どちらが本当なのか判らずに済ませている。この件は上手いと思った。不信感とはこんな小さなことから始まるもので、旭としてもどうしようもなかったのだった。
旭と南田の同棲はどうやら西武線沿線の設定らしく、電車が到着する新宿は周りになにもない市電の駅みたいなものだった。浅丘が旭を誘うクラシック、ベートーベンの七番、演奏はレオノールと看板にある。
最後は金子信雄との金銭取引で、バンコク経由で外国の秘密結社に売られて行く旭。どちらかと云えば、ここから先が観たかった気がする。ラストは頑張って盛り上げている。電話口で陽気な浅丘、さよならとだけ返す旭。深夜の丸の内辺りのビル街を車は走り去る。
個人的には、ほんの数カットだけ登場する葵真木子に心は持っていかれ、浅丘も南田もどうでもよくなる。金子と安部徹の悪役ツートップは50年代だからまだ初期、若すぎて迫力がない。浅丘のお母さんは高野由美。
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