[コメント] バトルシップ(2012/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
終盤で活躍する戦艦ミズーリが、大日本帝国の降伏文書調印式が行なわれた艦であるということ。これくらいは最低限知った上で評価しなければいけない映画。
冒頭のブリトー騒動での劇伴が『ピンクパンサー』という通俗性には、これは本当に映画なんですかと耳を疑うほどだが、完全にコメディ映画に徹した、店内及び警官に追われての大暴れシーンは見もの。ひとつ、この腰の据わったバカ映画を見届けてやろうかと思わせてくれる。
だが、意外に侵略者の造型が、『インデペンデンス・デイ』のような、凶悪な異物という単純さではなく、不必要な攻撃を控えるような理性や(彼ら目線のカットでは、視界の中の対象が赤=攻撃対象、緑=それ以外、という分かりやすい区別が為されている)、敵(=人類)に捕われた仲間を救いに来るという連帯感を持ってもいる者たちという性格が与えられている。つまり、人類ととてもよく似ているとも言えるのだ。単に、両陣営の立場が違うために戦争状態に陥っているという印象を受ける。
異星人の、この映画内での最終目的も、「仲間と通信する」というもの。反面、地球人が彼らと通信しようとしたせいで、攻められることになってもいる。コミュニケーションというものが、本質的に矛盾や齟齬、未知の危険を孕んでいることが感じられる。異星人は、自分たちが持参した通信機が壊れたので、人類のそれを利用しようとする。彼らも人類も、仲間と呼べる存在とのコミュニケーションを必要しているという条件では共通しているということを、より感じさせる。
かつて、米国が日本をくだしたミズーリの艦上で、主人公たちと日本人(といっても浅野忠信以外は、モブとしてさえ姿が見えなくなってしまうが)が共に闘うということ。また、謎の襲撃が当初、中国によるものかと疑われつつも、当の中国が攻撃にさらされること(「北朝鮮に間違いない」という台詞にはフォローが無いのは、現状ではかの国は未だ、半ばエイリアンであることの反映か)。浅野が引用する孫子が中国人であるということを、主人公がよく分かっていなかった風であること(また、意味が全く理解できなかったという台詞も加えられる)。同じ人類の間にも、「奴らは異質な存在、エイリアンだ」という意識が生じることもあるわけだ。
これらを踏まえて考えると、異星人が光に弱いことを予測するのが、米国の一兵士が飼っている爬虫類の目と構造が似ていたことによる点なども、異星人と人類が絶対的に相容れないものではないことを示唆しているのかと深読みさせられる。またこの兵士は、異星人が被っていたヘルメットがサングラスと同じ機能も備えていることを、試しにそれを被ってみることで確認するのだが、主人公は、遅れてきた式典に参列するシーンで、サングラスを外せと注意されていたのだ。
こう見てくると、意外に含蓄のある映画なのではないかとも思えるのだが、それがテーマ的に発展ないしは昇華されることはなく、定型通りのインベーダー物として終了してしまう。これなら、バカ映画として徹底している方が観ていてスッキリできた筈なのだが、脚本家二人の志向の違いがモロに出たのか(相補的というより、どっちつかずな結果に)、ユニバ100周年に間に合わせるために、脚本を練る時間が無かったのか。もし、これでOK、問題ないと思って出したのなら、かなり問題だが。
練られてない、という点では、終盤の、人類の危機に立ち上がる爺様たちのシーンが僕の中で全く盛り上がりを欠いていたというのもある。こんな風に展開するのなら、最初は爺様たちをもっとヨボヨボに描いておいてほしい。こんな尺を使っているのなら、爺様たち個々の性格もチラッと描いとけよ。手際よくやれば、数秒でもできることだ。そんな爺様たちが、ミズーリの艦上に‘ババーンッ’と、風格ある再登場をしてほしかった。また、死にかけているように見えた年寄りが、人類存亡の危機に却って元気になるという、或る意味ブラックな可笑しさも欲しいところ。それら、ベタな面白さが全然できてねぇ!という点において、この映画は、大いに期待を裏切ってくれた。
まぁ、こんな映画が、米国では当然の興行成績惨敗でありながら、浅野が出ているのが功を奏してか、日本では結構なヒットだったという辺り、嗚呼、日本は文化的にも米国に侵略されたままなんだな、と痛感させられ、アホらしい。
異星人の超テクノロジーによって、先祖返り的なアナログ技術頼りになる状況は、爺様のみならず、日本軍が排水量データによって敵艦の位置を察知した知恵を活用するシーンとしても描かれる。こういうバランス感覚のよさは巧み、というか、予め日本での興行成績アップを見越してたんでしょうか。「TSUNAMI」ブイで察知するというところなんかもね。米国人に「TSUNAMI」と発音させることの、変なむず痒さ。
ちなみに、いずれも全然重要な役ではないが、『24 -TWENTY FOUR-』ファンの吾が身にとっては、ルイス・ロンバルディとピーター・マクニコルの登場はサプライズだった。特に後者が『24』と殆ど同じような役なのには、驚きまた呆れつつも、やっぱり嬉しい。『24』のあの役柄のまま異星人と対峙しているようなシュールさにはウケる。
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