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[コメント] 汽車はふたたび故郷へ(2010/仏=グルジア=露)

この映画、とても若々しくみずみずしい。イオセリアーニ、かなり老齢のはずなのに捉えどころのヤングっぽいのがうらやましいほど素敵だ。
セント

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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男二人に女の子一人。これはもはや恋愛の定番といっても過言ではない。古今東西昔から題材にされてきた。しかし、子供時代からすうっと大人になるシーンから、普通の恋愛沙汰にしないところがこの作品の憎いところ。恋愛なんかに構ってられないとでも言いたげなほど映画作り(81/2)に没頭する。

祖国グルジアでは体よく追い出され自由の国フランスに行くも、ここでも商業主義という壁に泣かされる。芸術とカネ(もうけ)という難題にぶつかるのである。これだけは古今東西昔から(しつこいですね)芸術家が悩み続けた難問であります。

映画が持っている娯楽と芸術という関係性は他の芸術より密着度が強く、映画作家が長年悩まされてい本質的な問題なのである。あの、黒澤であれ、小津であれ悩みまくったのである。

イオセリアーニの作品は彼独特のゆるーい展開で、慣れない観客は眠気を催すぐらいだろう。笑いもどこかおかしい感じで、爆笑にはならない。でもどことなく明るく大らかである。このタッチが好きな観客も多いと思うが、一方退屈と思う人も多いことだろう。観客を選ぶタイプの人である。

でも途中とラストに出没するあの人魚。全体的に何もないはずの展開なので観客はどうしてもそこに意味を探そうとするだろう。そういう意味ではイオセリアーニはずるい。

あれを、自由への開放と見てもいいし、自己追及の中にしか芸術は見いだせないのだ、としてもいいし、或いは閉所への逃避行としてもいいのではないか。

こういう爆弾を持ってラストにしてしまったことをどう捉えようか実は僕は今悩んでいるのである。でも分かっているのはそれでもこのユルーいイオセリアーニの世界が好きなのだということだ。ファンはいつまでもついて行きまっせ!

(評価:★4)

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