[コメント] 光のほうへ(2010/デンマーク=スウェーデン)
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まず、これは根本的な問題なのだけれど、この悲痛な運命を背負う兄弟のバックボーンのほとんどをセリフで語らせてしまったところに、この作品への興味を持続させるパワーの弱さを見る。自分は幸か不幸か予告編を観て、その上にホームページのあらすじを読んでいたから理解できたものの、連れは頭上に「?」マークばかりを飛ばしていた。これでは銀座シネスイッチ貸切状態に近い、5人以下の観客のための上映もやむを得ないところだろう。
しかしこの不親切な演出は、あながち監督の作風で済まされる問題ではなく、本当の「弱さ」ではないかと疑わずにはいられない描写に辿り着く。それはラストの展開で、兄弟の救済をもたらす出来事の伏線となる部分だ。
「とっくに死んでいてもふたりの成長の上で問題のない母親の葬式が、兄弟の再会の道具として行なわれ、ふたりに大金を遺産として齎す」
これはラストで、子供を残して自殺した弟の代わりに、兄のもとに全額の相続権が委ねられ、兄は甥を育てるためにそれを使うことになることが予測されて終わるのだが、このあざとさはちょっと類を見ない。悲劇からの脱却を意味する踏み台としてはあまりにも他力本願過ぎるし、しかも最初は母への憎悪ゆえに兄が手をつけることなく弟に渡そうとした金だった事を思えば、この「小粋なはからい」にはトマトを監督に投げつけたくなる。しかしそれだけではない。
「負い目のあるデブ男のために隣人絞殺の罪をかぶった兄は、その義理堅さゆえに黙秘を続けるが、数日前に公衆電話機を殴って右手がグチャグチャになっていることを理由に無罪放免になる」
もともと兄は頭に血が昇りやすい性格なのは判っている。かといってこの伏線はあんまりだろう。右手を失う大怪我を負うその理由は、弟に逢いたくなって電話したところ、どう切り出したものか迷っているあいだに弟に電話を切られ、キレて電話機を乱打したということなのだ。これは常軌を逸した理由であり、狂態というよりも御都合主義と断じたほうがピッタリくる。
そもそも、この兄弟のまわりに発生する不幸の螺旋そのものが、悲劇のための悲劇描写としか思えないものばかりの上に、こうも現実感を伴わないものだとさすがにゲッソリする。これでは「よくできた」終幕も偶然の産物としか思えなくなってしまう。監督の精進を期待したい。
末筆ながら、この金子みすヾブームに馬乗りになったタイトルはないだろう。ふだん邦題は日本語でつけよ、と広言している自分であっても、原題のままでいいじゃないか、と思わされてしまった。
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