[コメント] さよならドビュッシー(2013/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
原作未読です。
結論から言えばとても消化不良。
ストーリーを転がすうえで必要な情報が何で、それをどういう形で提示するのが効果的なのかあまり考えていないように思える。
最初の方の遥とルシアの幼少期エピソードは例えば写真だったり、台詞での説明などである程度カバーして、時間をカットする方が映画においては賢明だと思うし、リハビリシーンであったり火事から回復した後、遥が色々なところで演奏するシーンも必要か疑問がある。
また、演出なのか役者の力量なのか、スムーズに受け止められないシーンが散見されるのもよろしくない。
役者に関して引っかかるのは、芝居のレベルにおいては刑事、加納(サエキけんぞう)、弁護士の三人。掛け合いと言う意味においては柳憂怜と山本剛史の相性にかなり疑問が残った。前者は個々人の問題なのでしょうがないにしても後者は演技プランの設定でどうにかなるはずであり、その調整をしないのは怠慢なのではないかと考える。
そのような中でも岬を演じた清塚信也はプロの役者ではないが、あまりにも堺雅人臭のするこの役をがんばってこなしたと思う。橋本愛も頑張ったかな。だが、彼女はここしばらく似た演技プランをこなしている感が強く、あまり恵まれていない印象もある。とは言えこの二人のシーンで何とか成立させている作品なので、そこは評価をしたい。
あと、「トリック」に関しても疑問がある。遥を殺そうとしているのがだれかという点がある一点でスパッと解決するのはまぁ良いにしても、遥とルシアの入れ替わりについては、かなり疑問がある。
まずはストーリー展開に乗っかった部分で言えば、遥とルシアは頭蓋骨の骨格も違っているだろうから、全く同じ顔にはできないのではという疑問と声の違いをどう解決するのかという疑問が残る。後半、橋本愛に普通にしゃべらせたのはミスリードと言う点では効果的だが、フェアかどうかという観点では微妙と言わざるを得ない。これは小説における利点であり、映像にする場合では難しいポイントなのだが、作り手にその自覚はないように見える。また、身も蓋もないことを言えば、DNA鑑定せずTシャツの柄だけで当人確認するという展開は現代医学においては不自然であろうとも付け加えておきたい。これは展開上どうにもならないので、解決は求めない。
最後に、地方のテレビ局などがメインで制作する場合に陥りがちな「ミス」について言及しておく。使いたくなる気持ちはわからないではないが、地元出身の有名人・著名人をチョイ役に持ってくるのは正直萎える。そういう「サービス」は制作側には都合が良いかもしれないが、基本的には本末転倒であり、ちゃんと内容で勝負をしてほしい。それができないのであれば、映画制作などと言う博打は打つべきではない。名古屋地区限定で公開するのであればいざ知らず三ツ矢雄二に名古屋弁を喋らすような演出は原作通りなのかもしれないが非常に不愉快であった。
以上、もう少し何とかなったのではないかという印象が強い作品である。
(2013.1.26 シネマサンシャイン沼津)
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