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[コメント] 世界にひとつのプレイブック(2012/米)

この病気の人たちのことがよくわからないので、共感の糸口がつかめない前半が厳しかった。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







最近話題になった少女マンガを数作読んで思ったのは、もう「○○クンが好き、だけど…」と主人公の悩みがひたすら「好きな相手への感情」と、その「成就」に終始するのではなく、むしろそのことを中心に発生する主人公の女友達、好きな彼氏の友達への気遣いや疑い、「みんな」の中でどう振る舞うかへの悩み、自分へ思いを寄せてくれる人の思いを傷つけたくないと思う心と恋愛の板挟みなど、いままでなら恋愛を盛り上げる要素にすぎなかった物事こそが、作品のテーマにシフトしているんだなあ、ということ。そして書き手と読み手のそのことに対する関心の高さが、どんどん作品のテーマを深く鋭く探っていって、とても複雑な心情を描き分けることに成功していると思う。(余談だが、最近の少女マンガは、お互いに惹かれあってた主人公カップルがお互いの気持ちに気づいてめでたしめでたし、ではないのだ。あるマンガで、そこにたどり着いたカップル2人がお互いに告白して、その出した結論が「おたがい好きでいたいからこのままでいよう(カップルにはならない)」という結論に、おっさんの私はのけぞったのだった…複雑すぎるぜ最近の若者…)要は個人主義の成熟の行きつく先で煮詰まったコミュニケーション障害が、個人主義を掲げている共同体の成員の現在の関心事ということで、そういった意味での日本の大先輩であるアメリカで、こういったドラマに関心がもたれ作られるということなのだろう。

しかしパイセンのやっていることは先に行き過ぎているからか、単に特殊すぎだからなのか、そもそもこういった病気のことや、それに対する社会の取り扱われ方ということが、よくわからない。感情がコントロールできないことで「うまくいかない」ということだけはわかるのだが、それが先述の少女マンガならば、自分の体験にてらしあわせて共感できることが多々あるのにくらべ、「なんだかみんな大変そうだな」くらいにしか思えないのだ。わかりやすくいえば少女マンガにはある「それってあるよなあ」がこれにはほぼない。自分の知っている感情の範疇で引き起こされる感情の不制御が醸し出すドラマでないことに共感を探さなければいけない、という点がきつい。

だから主人公2人が再起を目指し始めるあたりから、やっとのれる。そこからはテーマが「ハンデをのりこえて目標に向き合う」というステージになるからだ。鏡にうつる目の前の異性への意識、どっちから先にだったのかわからないうちに手を握りあった一体感、そして元カノ(この場合元ツマか)の元へいく彼の、そう自分で仕組んでおきながらどこかで自分を選んでくれるだろうという淡い期待が破れていく動揺、ロビーを横切って逃げるように外に出ていく彼女の姿は、共通言語ゆえ共感できるのだ。もちろんオスカーを獲るくらい「その人自身である」という素晴らしい演技ゆえに強い共感を得ることできるわけだが。

フィクションを味わう快楽とは、つきつめると「腑に落ちる」ことへの快楽らしい。つまり悪いやつが退治される、苦労が報われる、誤解が解ける、自分のいいたいことを代弁してもらった、謎が解けた…云々。後半の「成就」までのストーリーはとても腑に落ちる(=共感)ことができた。しかし現在の主要な関心事はあくまで「コミュニケーション障害」そのものにある。つまり前半の「うまくいかなさ」こそが肝であるはずだ。そこでの物語がどうしても頭でそれとなく起きていることの事象は理解できても「あるある」が自分にない。そこが厳しかった。

(評価:★3)

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