[コメント] ホーリー・モーターズ(2012/仏=独)
ドゥニ・ラヴァンには一一作品分の出演料を請求する権利がある。各所の発想に認められるギャグマンとしての才、鮮やかに文体を更新したレオス・カラックスの演出は最大級の賛辞に価するが、映画はラヴァンの酷使を前提に成立している。演じることの疲労において、ラヴァンとオスカー氏は限りなく等しい。
形式は求道的であると同時に自堕落でもある。細部に込められた瞬間の面白さこそが映画的であるとするカラックスの立場に私は与したいところだが、『ホーリー・モーターズ』はその断言的な態度によってまず断片を集積した自らの成り立ちの正当化を図っている。九〇分なり一二〇分なり一五〇分なりの線的な連続性にも腐心する「アメリカ映画」は決して断言をしないはずだ。
とは云え、その瞬間の面白さ、瞬間の感動なるものの列挙を試みれば十指に余るだろう。したがってここでは特に楽隊の行進シーンを挙げるに留めておく。これにしても撮影がいい、ロケ場所がいい、あるいは楽曲・演奏がいい、などと様々の云い方ができるけれども、行進するにつれてひとりまたひとりと楽隊が増員していくあたりが決定的にすばらしい。要するに『バカルー・バンザイの8次元ギャラクシー』エンディングと同趣向であるが、楽隊だけあって増員が視覚だけでなく聴覚(サウンドの厚み)にも反映されていくさまが涙を誘うほどに感動的だ。
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