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[コメント] ローマでアモーレ(2012/米=伊=スペイン)

舞台となる都市が共通であることを口実に、長篇まで育たなかった複数の物語の着想が無造作に並べられた格好だ。劇中時間の経過量にも隔たりがある各エピソードは有機的な連携を図ろうともしない。反面、それぞれの喜劇を磨き上げることに力が傾けられて、ウディ・アレンの近作では最多の笑いを生産する。
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短くとも数日間にわたる出来事を描いているだろうジェシー・アイゼンバーグエレン・ペイジのエピソードにおけるアレック・ボールドウィンの神出鬼没ぶりが大いに笑わせる。発言の九割がたを無視されるボールドウィンはまるで幽霊か透明人間か、あるいはアイゼンバーグの別人格(心の声)の具現化であるかのように扱われているのだが、はて、この少しくシュルレアリスティックな笑いにはどこかで出会った覚えがある……。勘の鋭いかたなら既にお気づきだろう、その通り、ご存知フォークダンスDE成子坂のライブビデオ『自縛1』に収められたコント「星」である。

女優に愉しみを見出だすのもアレン映画の醍醐味で、ここでは田舎から上京してきた新妻アレッサンドラ・マストロナルディがとりわけ素敵だ。迷子になった挙句に携帯電話を遺失し、憧れのスターにふらふらついていくなんてほとんど漫画的なドジ娘なのだけれども、アレンはこういうちょっと空想めいた女性キャラクタを厭味なく可愛らしく演出するのが巧い。助演級女優も充実しており、アイゼンバーグの恋人役グレタ・ガーウィグやアレンの娘役アリソン・ピルは、立ち位置を弁えて控え目ながら自らの魅力を主張している。ピルは『ミッドナイト・イン・パリ』に引き続いての起用で、密かなお気に入りのようだ。

以上でまだまったく触れていないのはロベルト・ベニーニのエピソードだが、物語だけを取り上げれば『世にも奇妙な物語 秋の特別編』と大差ないところ、さすがにベニーニの芝居には自己完結的な強さがある。また、他のエピソードによって分断・断片化することで噺の厚み不足も巧みに隠蔽している。各篇が完全に独立したオムニバス形式を採用しなかったのはこのあたりが理由だろう。

(評価:★4)

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