[コメント] 真夏の方程式(2013/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
まず冒頭のシーン。
走る。
揺れる画面。
三宅伸子が刺され、赤い傘が宙に舞う。
だが、三宅伸子を追い走る息遣いは明らかに男性のそれ。
この演出、どうかと思う。
次いで内容に関して。
成実(杏)が真犯人だった三宅伸子殺し。
仙波と成美の母・節子が画策して仙波が実行犯として逮捕され刑期を満了しているが、これは明らかに誤認逮捕で成美の罪が消えてしまうわけではない。
どころか、真犯人が出頭してきたとなれば、冤罪被害者の救済として
1.冤罪による被害者補償
2.刑事補償法
3.国に対する損害賠償請求
という権利が仙波にはある。
なぜ成美を説得して出頭させないのか。
このドラマに出てくる捜査一課は揃いも揃って頭がおかしいのか?
今は殺人事件には時効がないのである。
少年法も改正されている世の中だ。
犯行当時中学1年生だった成美にもしっかりと罪を償う「責任」がある。
にもかかわらず、湯川は(成美の実の父である)仙波の成美への愛情を勘案し、成美に対して罪を問うことをしない。
実に不自然だ。
塚原正次元刑事は明らかに成美の養父・川畑重治に殺されたのに、川畑夫婦の業務上過失致死・死体遺棄だけで立件されたとなると浮かばれない。
この件に関しても、成美を思う重治の思い、動機のなさから湯川は見逃す。
実に理不尽だ。
どうして湯川が川畑親子に対してこんなに甘いのか。
「重治に利用された恭平のことを慮って」と言いたいのかもしれないが、2人の被害者を殺した2人の真犯人を見逃すこの行為は前作『容疑者Xの献身』で見せた湯川のそれとは全く異なる。
湯川という人物の思考としてあまりにも一貫性がなさすぎる。ブレブレだ。
「塚原殺しの仮説が実証されないから」というのは言い訳にしかならない。
『容疑者Xの献身』でも花岡靖子の証言だけが石神哲哉の動機づけの証拠(自白)に繋がっている。
本作においても成美や恭平の証言をきちんと拾えば少なくとも塚原殺しの仮説は実証できる。
湯川が犯罪者を断罪するか否か(有罪か無罪か)を決めてしまっては法治国家としての根幹が揺らいでしまう。
ちなみに、恭平に関して。
彼は当該殺人事件に善意・無過失で言われるがまま煙突に蓋をしただけなので、殺人幇助などの罪状に問われる可能性は皆無といってよい。
心に傷を負う可能性はあるが、「一人の人生を歪めてしまう」ほどのことではないと思う。いずれ気づくだろうし、親族に人を殺めてしまった人間がいる事実にかわりはないのだから。
全く詰めが甘い。
確かに湯川は警察関係者ではない。
だが、美砂(吉高由里子)はまがりなりにも捜査一課の刑事だ。
そこを追及せずに終わらせる本作はどうかしてるとしか言いようがない。
根本的に、このガリレオシリーズは僕には合わないと痛感した。
情が支配し過ぎている。
刑事事件を扱った物語を書くにはあまりにも常識が欠落している。
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