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[コメント] さよなら渓谷(2013/日)

何を伝えようとしたかったのかよくわからない。結局「なぜこうしているのだろうか?」と言っても、「だからこうしているんだな」ということは言えていないように思う。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







テーマを社会的な問題として訴求できていないからだめってことはないけど(ただレイプというのが、まだまだ軽くみられがちな成熟度である現代の社会での創作物であれば、そうあって欲しいとは思うけど)、じゃあだったとしてやはりこの特異な選択をしている夫婦に、第3者である観客が何かしら共感を得るとすれば、この2人は、「だから」こうして渓谷に身を潜めるように夫婦生活を送っているのだ、という点以外にないと思うのだが、それがあまり感じられなかった。「男は贖罪のために」「女は男に罪を忘れさせないために」あえて「二人でいることで幸福の真逆を行こうとした」つもりが「2人の生活に幸せを見出してしまった」ということが、説明はされるのだが、説明的にしか理解できなかった。

この2人のとった行動は徹底的に個人的な理由からによるものなので、雑誌記者の目で描くことに限界があると思うのだが、これは原作通りなのだろうか? 第3者にできることは、「どう書くんですか?」「男はレイプ事件をきっかけに落ちていった。それで十分だろう」という記者同士の会話に代表されるような定型的な把握の仕方や、記者が最後にはなった質問のように「過去に戻れるとしたら、事件が起きなかった2人に戻りたいか」などという、今となってはそれ以上遡れない当事者からすれば「もしあなたの両親があなたを生んでなかったとしたらどうでしたか」のような頓珍漢な疑問、お互いに嫌悪したり傷つけあいながら夫婦をやっている男女だって普通にいるしねぇ、という実は無益な関連付けしかできない、それくらい愛というのは固個人的(こんな言葉ないけど)で理解不能なのだ、という結論にしたかったのかも知れないけど、だとしたら「決して交わらない視点」を描くためにも、もっと視点の整理が必要だったと思う。  

あと、現実に即して考えた時、こういった、人が不可解な行動をとっている場合、何かしらそこに至らしめる「きっかけ」があるように思う。端から見て些細で一見関連性のないようなズレがトリガーとなって、人に不合理な道を歩ませる。この2人にもどこかでそんなものがあったと考えるほうが得心がいく。それを本作は見落としているのではないか、そんな気さえする。もちろんフィクションなので、書かれなかった以上の事実なんてないのだけど、それはつまり嘘が成立していないということになるのだけど。

(評価:★3)

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