[コメント] 八つ墓村(1996/日)
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つまんない映画だけど、出来の悪い映画ではない。鍾乳洞に関する場面はほとんどナシになっているし、タツヤの出生の秘密だってずいぶんとサラっとしか語られないし、どういうわけかミヤコは草木染なんかやっているし、そのうえタツヤじゃない男に気があるらしい・・・どうにもこうにもガチガチの本格推理の原作ファンにとっては、これって「八つ墓村」じゃなくね?と反感を買いそうな内容なんだが、こういうのを監督の力っていうのか?と思いました。ひとつひとつのシーンに力があるというか、引き込まれるというか、目が離せなくなるから不思議だ。女優の表情がすばらしくいいとか、俳優の演技に引き込まれるとかっていうのは体験してきたけれども、人よりも画像そのもの、映像そのものに目が奪われる。事実、この作品のミヤコには迫力もないし魅力もないし存在感もないし、金田一耕助だってそこらのあんちゃんみたいに薄っぺらい。だいたい、主人公が誰なのかもアヤしいストーリーなのだ。それなのにどうして引き込まれちゃうんだろ。
きっと今までだって実は映像がすばらしくて引き込まれてた映画はたくさんあったんだろうけど、そういうときは役者もすばらしくよかったんでそっちに気をとられてたんだと思う。(黒澤監督の「天国と地獄」とか。)でも今回は気をとられるものがなかったので映像だけが際立ったんだと思う。郵便局兼旅館の家の柱や床のたたずまい、そこに暮らす夫妻、その暮らし。そういう空気の中にポッとはがきを買いにくる子供の存在感。なんだかやたらときれい。通夜のお膳を用意する女たちの働きぶり、台所の様子、裏方でもくもくと働く女たち。通夜のシーンのラストに台所を天井まで視点が動いて、旅館の女将だけじゃなくそこにいる人全員が主役になっちゃうようなシーン。黄昏どきのタジミ家の全景。薄暗い中の大きなお屋敷。それだけでなんか不吉なことが起こりそうな予感。(これは犬神御殿のときもニレ家や由良家のときもそうだったけれども。)要するに、あまりストーリーとは関係ない人たちのシーンがよかったってことだろうか。この映画の主役はミヤコでもヒサヤでもタツヤでもなく、八つ墓村民の暮らしぶりだったのかな。事件そのものよりも、不吉な伝説が残る村で、恐れながらも懸命に暮らす人たち。
そういう印象だったんで、原作の要素を半分以上なくしちゃってることもあまり気にならなかった。もっともそれは私が原作を読んで知っているからで、初めて横溝ワールドにふれる人には不幸だったとしか言えないですね。本格ミステリとしてのオモシロさはほとんどなしになっているもんで。「八つ墓村」といえば鍾乳洞、龍の顎ですよ〜。準密室の鍾乳洞で起こる過去と現在の事件、不幸な女の秘密、現在の事件の真相を左右する大事な場所なのにー。だいたい、あの程度のデータしかないのに金田一が事件の真相にたどりつくとはとても思えない。せめて、クノ医師の秘密メモくらいは登場させてほしかったですね。映画のはじめあたりで、ミヤコが小竹・小梅をタツヤに紹介するのに小竹を小梅、小梅を小竹と紹介してしまうところで、ふたりに間違いを指摘されたミヤコが「きゃはははは!私はいつも間違ってしまうんですの!」とかなりハジけた感じで言うセリフがあったので、きっとそれはクノ医師のメモがあとで登場する伏線になっているってことなんだな、と思ったのですが、さにあらず。あれはただの笑いを誘うためだけのシーンだったようで。ミヤコが小竹と小梅をいつも間違える、これはクノ医師の秘密メモに関連して事件を解決する重要なヒントだったんですけどね。鍾乳洞をけずられたことよりも、「八つ墓村」を本格ミステリとして成立させている要素をけずられたことは、ひどく残念でした。
というわけで、ミステリ「八つ墓村」としてはかなりつまんない映画になってしまいましたが、映画としてはけっこうよかったのではないかという、不思議な映画でした。
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