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[コメント] ハンナ・アーレント(2012/独=イスラエル=ルクセンブルク=仏)

煙草をパカパカ吸いながら“ものを考える”。もしこれが“食べながら考える”だったら、彼女はきっと物凄いデブになっていただろう。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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 もし僕がロダンだったら、彼女の横顔を石膏で固め、“考える人”と題して出品した。と思うぐらい、考える姿がサマになっている。バルバラ・スコヴァという女優さんの存在がなければ、この映画の成立もなかったに違いない。

 一つ付け加えるなら、やっぱ脚本。ハンナ・アーレントという一人の人物を描くに当たり、その生涯のどの部分を取り上げたら、もっとも効果的に彼女の人格や思想を刻みつけることができるか。この点について、徹底的に考え抜かれている。描かれる彼女の日常や交友関係が、彼女の思想を育んだ土壌を浮かび上がらせるばかりではない。彼女がどのようにしてその結論に至ったか、思考の道筋もくっきりと分かるのである。断片的なエピソード を時系列に並べ、今は老人ホームにいる主人公が回想する、てな形式でお茶を濁す“伝記映画”もある中で、本作はある意味理想的な、少なくとも僕好みの伝記映画だ。

  ◇  ◇  ◇

 アーレントの思想について思うところを少し。

 “ハンナ・アーレント”の名を知らなかったとしても、“悪の凡庸”という語句を聞いたことがなかったとしても、現代社会に生きるわれわれであれば、この考え方にはなじんでいる。すなわち、ナチスの犯した大罪(人道に対する罪)は、組織の日常の事務作業の中から生まれた。そこには狂気も、大いなる悪意も、底深い憎しみもなかった。まるで工場労働者が目の前のラインを流れる部品を組み立てたら、できあがった製品が“大虐殺”であった、とでも言うような。個々の労働者はその結果物に対して、ほとんど責任を感じることができない。なぜなら、自分は目の前の部品のネジを締めただけにすぎないから。

 これは驚くべきことだった。われわれを戦慄させた。ちょっと状況が変われば、自分たちの社会でも起きうることだと思わされた。われわれの社会は確実にこういう犯罪を生みうる。これはまさしく現代社会が生んだ犯罪なのだ。

 言うまでもなく、責任を感じないことと責任がないこととは違う。また殺人を思うことと犯すことの間には、天と地ほどの差がある。現実にそれだけの行為をしでかしたという点において、ナチスの罪は厳しく糾弾されて当然だ。

 誤解を恐れずに言えば、アーレントのこのような考えは、彼女が言い出す前から、みな心の中で、漠然とではあるにせよ、“そう思っていたこと”だ。ハンナは、自らの着想が本当に正しいものなのかどうか、そこに一貫した論理が見出だせるかどうか、それとも論理など持ち得ないただの感情にすぎないのか、それこそ徹底的に考え抜いたはずだ。

 “考え抜くことが、人を強くする”というのは本作の一貫したテーマであるが、本当にそのとおりなのだと思った。

85/100(13/12/8見)

(評価:★4)

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