[コメント] 日本春歌考(1967/日)
大島渚が創造社を立ち上げて、それでも松竹と縁を保ってやってきた縁が、これでプツンと切れた映画だ。やはりこれは日活ロマンポルノと解釈されても致し方ない。そういう意味でATGの存在は大きい。マイナーな革命だ。
ヌーヴェルヴァーグ、と呼ばれた所以はわからぬが、確かに日本映画の中でこれほどの知性を映画に書きなぐった映画監督は大島渚をおいて他にあるまい。篠田正浩、今村昌平など数ある松竹映画を卒業(?)した有能な映画集団の中で、大島渚はそのIQの特別たるものが映画の中から見えてくる。
この「春歌」という発想の知的なこと。性を俗的に表現することの恥ずかしさ、衒いなど一切ない。このあるまじき非現実的行為こそが当時の社会であったのだ。これを今、気恥ずかしく感じる者も多かろう。この映画を見て、当時の自分を思い浮かべる者もあろう。しかし大島渚にそのような気負いも衒いもまるでない。自信満々に世俗を吐露しようとしている。その直截なアイデアとイデオロギーには舌を巻く。
ここでも言葉として飛び交うのは戦争だの政治だの果ては哲学だのという大変ムズカシイ言語であるが、大上段に構えてズカッと”セックス”と言い切るがごとき恥じらいのなさが、かえって見るものを快適にさせてくれる。
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