[コメント] 日本春歌考(1967/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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赤い布に水滴が落ちて黒い染みが日の丸状になり燃え上がるタイトルバック。雪の大学構内で煙草大量に吸う受験生四人、受験番号469番田島和子に目をつけてベトナム戦争反対の資金カンパにおそ松と署名。雪積もった校庭を歩む画がいい。聖橋渡ると日の丸持つ園児と交差する幼稚園児と交差してやってくる、黒い日の丸と黒旗を大量に掲げる社会人の行列、紀元節復活反対と書かれた卒塔婆を持つ小松方正や渡辺文雄たち。若い四人がこの先頭を歩む格好になるという配列にイロニーがある。
(なお、『御法度』の頃のインタヴューでオーシマはこう云っている。「初期の頃から途中までは、なんかそういう外部の時代みたいなものをどっかで入れたい気分があったんだよね。その気分が最終的に出たのがやっぱり『愛のコリーダ』で、これあとでいやだなと思っているんだけど、吉蔵が歩いている時に軍隊とすれ違うところがあります。みんなあのシーンが好きなんだよね。僕はあんなところ好きになるやつはバカだって言った。あれを撮ったボクもバカだけど、あれを好きだっていうあんたもバカだよねって言いたいくらいね、もう僕はそんなことにね、全く関わりを持ちたくないという気分なんだよね」(「キネ旬ムック フィルムメーカーズ大島渚」)。なんでバカなのかここでは判然とせず、『夏の妹』の頃に現代日本には興味を失った、『御法度』には美しい空洞があるとか云っている。要は撤退したのだろう)
四人は地下鉄の改札前で煙草踏みつぶす受験引率の先生伊丹一三と別れた小山明子追って黒い日の丸のあるビルに入り、しかし何が喋れるわけでもなく、ふたりの情交想像しながらストリップや映画の看板の前うろついて、夜は伊丹と学生4人、女学生3人が居酒屋。「同期の桜」の合唱に対抗して伊丹は「ヨサホイ節」を唄い出し、周りの客に批難されて抗弁、すべて春歌は民衆の抑圧された声、民衆の歴史である、いまの学生は可哀想だ、抑圧不感症だ、だからこういう歌唄ってやるしか仕方ないんだと語る。伊丹は抑圧不感症のオスに性的抑圧を教えて殺されることになる訳だ。
周りの客は「紀元節」など合唱、亡国の民が皇国の歌を唄うんだと社会人は自嘲している(放歌のバトルという手法は『儀式』の先駆でもある)。伊丹は「君たちの両親が妻が、敵側に属すると気付いたら、君たちはこの人達を捨てねばならない」などと本朗読して酔いつぶれ、帰省電車なくなり宿泊。
四人は夜這いを試みるがあしらわれ、荒木が伊丹の部屋を訪ねるとガス充満。思わず「ヨサホイ節」を唄い、仲間に云い出さない。翌朝、発見して泣く女生徒に男子生徒は不気味にドライで、お前らがやらせないからだ、俺たちがストーブ蹴飛ばして殺したんだとまで云い、駅構内で「ヨサホイ節」唄いながら、三人の強姦、469番の受験会場での教壇での強姦、彼女のブルジョア邸宅訪問を再現フィルムとともに想像し続ける。彼等の横に傷痍軍人やお遍路たちが並んでいるのは、伊丹の云う「民衆の抑圧された声」の反映でもあるだろうし、その放歌で沈黙した彼等を威圧しているようにも見えるアンビバレントなものだ。
三人娘のひとり吉田日出子が戻って来て、歩道をコカ・コーラの広告看板の前横切りながら「女の歌よ」と「満鉄小唄(朝鮮人慰安婦の歌)」を唄う。率直な吉田日出子の視線が素晴らしい。実に珍しいこのリリカルな件はオーシマ作品中の白眉と思う。オーシマにおいては日本人はみな変態であり、コリアンだけが抒情的に描かれる。『ユンボキの歌』が想起される。「ヨサホイ節」は反転せられ、荒木は伊丹を見殺しにしたと告白してしまう。この二曲の組合せにより、本作は無論、雄の強姦をファシズムに喩えていると知れる。
小山宅で伊丹の通夜。彼の遺構集出そう、しかし昔の政治論考は古いだろうなどと旧友たちが語り、「国際学生連盟の歌」が唄われ、彼は紀元節復活の日に死んだんだ、意義ある死か否か論争が勃発。荒木は「ヨサホイ節」で対抗して混乱。荒木は小山(彼女も先生と呼ばれる)に「ヨサホイ節」フルコーラス唄って押し倒して、代々木体育館横の墓場をふたりで散策して春歌を交換。小山は伊丹から聞いた炭鉱での男女の交歓、遺灰と結婚した男を語る。しかしこれは和姦話で強姦ではない。小山は性欲の塊の荒木を諭しているように受け取れる。
他三人と吉田日出子は田島宅へ向かい、日の丸と万国旗掲げられた(アメリカ国旗だけ棺に巻かれている)ベトナム反戦フォークソング大会でガスリー「我が祖国」「若者たち」など唄われる夜の湖畔のステージ。オーシマが嫌いな世界で、無茶苦茶バカにしている。四人は「ヨサホイ節」で対抗して多勢に無勢だが、荒木のためと吉田日出子はマイク奪って再び「満鉄小唄」唄い歓迎されて、日本民謡でしょとか話しかけられ、田島は「グッドナイトアイリーン」唄い、吉田日出子はドレスアップさせられて悄然としている。被害告発の歌をアメリカのフォークソングと一緒にされたのだから泣きもするだろう。
荒木と小山が合流し、小山が結婚できなかった荒木との失敗した関係を告白。田島は♪黒い太陽が昇ってくる(これは何という唄だろう)と調子の違う歌を独唱し、四人はお前を空想で犯したんだと取り囲んで会場は混乱。一同は雪のない校庭を、赤と黒の日の丸が掲げられた空想の教室へ向かい、空想の通りに始めろと云う田島を制して、小山は壇上で紀元節と伊丹の騎馬民族の革命説の講義、チマチョゴリ着た吉田日出子が登壇するなか日本人の古里は朝鮮ですと語るのを無視して四人は「ヨサホイ節」唄い強姦、小山が身代わりになろうとするが田島は続けてくださいと云い、日の丸敷いた壇上で裸にされて「真実」(!)と呟き荒木に首絞められる。
素晴らしく混乱した収束。加害者四人組対被害者小山・吉田だけなら単純な対立になる処を、田島のとんでもないマゾヒズムが混乱に陥れている。このブルジョア娘の吐く「真実」とは何だろうという疑問が鑑賞後も付き纏う。被害者の共犯が抉られたのだろうか。再見。
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