[コメント] メイジーの瞳(2012/米)
誰もが少女を欲しがり、また、欲しがらない。盥回しにされる彼女はたとえば、フットボールにおける球のようだ。常に競技の中心にあって、自軍の勝利のために選手はその扱いの熟達を望むが、規則集の記述範囲を越えて球そのものを労ることはない。しかし、映画はこの比喩が破綻する瞬間こそを謀るだろう。
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