[コメント] 罪の手ざわり(2013/中国=日)
「行こう!」「どこへ?」「えー・・・。行けるところへ」
実際にどういう言葉が交わされていたのか聞き取りようもないわけですが、「行こう」「どこへ」「どこへでも」というのは、『天井桟敷の人々』でガランスと白塗りのパントマイム役者(バチスト)の会話に付けられていた字幕であります。
愛し合う二人であればどこへ行ったっていいのですし、どこまでだって行けるんだというような、恋愛の限りない自由さを感じさせる台詞だったわけです。
しかし、中華人民共和国ではこの会話は成立しない。国民に移動の自由はないのです。いや、厳密に言うならば、二人が、ここではないどこか別の場所で、つつましやかにさえ生活をおくるということへの、リアリティが感じられない。感じることができない、ということです。
閉塞感、という言葉をチャイナ人が知ってるのかどうか知りませんが(知らないんじゃないの?)、この映画に描かれるのはまぎれもなくチャイナ社会にある腸閉塞みたいに深刻な閉塞感です。
ただジャジャンクーはきっと、閉塞感を描こうとこの映画を撮ったわけではない。彼なりの誠実な問題意識は、社会に横行する不正義であり、金銭主義であり、刹那主義であったのだと思います。それに成功しているかどうかは問いません。重要なのは、自己の問題意識に誠実に向き合うという姿勢だったように思います。
話も比較的サクサク進みましたし、なんなのこれ?と思わされる描写も少なかったように思います。
75/100(14/09/20見)
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