[コメント] メビウス(2013/韓国)
興味深いテーマと見ていたが、次第に退屈になりやがて唇からは失笑が漏れた。こんなにもこれらの人々が男根にこだわるのは、ギドクがきわめて男性的な作家だからだ。要するに彼は女性を凌辱できなくなれば自分は人間でなくなるとでも思っているのだ。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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男根を奪われた青年と父にとっては、男根なき人生などは哀れで人間の生とは言えないものなのだろう。切除した陰茎をめぐって繰り広げられる一大争奪戦や、性器なくして男性的な絶頂感は得られない、と石ころで手足を傷がつくほど摩擦する疑似自慰行為にふける父子に、そんな考えの片鱗が垣間見える。
いや、ならば女性的な快楽に乗り換える気はないのか、と問えば、彼らは怪訝な顔をするのが落ちだろう。「男のシンボルを棄ててまで何のために生きるのか」と思っているからだ。男根をめぐって人々は殺し合い(いや、「男をめぐって」というのが正しいのだろう。男は崇拝の対象としてのリンガそのものだ)、最後にその生き甲斐の円環(メビウス?)を外れた男は微笑んで仏像に叩頭を繰り返すのだ。つまり、去勢された者は僧侶になるしか生きる道はない、とギドクは言うわけだ。
「無知は楽しくないが、偏見は楽しい」。確かにギドクの偏見は微苦笑を呼び起こされる。だが、敢えて彼が韓国の映画界で作品を創れなくなった一因に、この偏見もあるだろうと決めつけてもいいような気がしないでもない、と言っておこう。このマッチョ哲学はやはり古風すぎる。ギャグといってもいいだろう。今更男ってそんなに偉いモノと認めるしかないのか。
ポカリスエットを呷りながらの青息吐息の凌辱に、ギドクの限界が見えるような気がする。
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