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[コメント] アメリカン・スナイパー(2014/米)

大国の下心に翻弄される弱い人間。ヒーローは不在。寂しく悲しい空気が漂っている。
ALOHA

大幅に追記致しました。 ***

なんとも寂しく、悲しい空気が流れている映画だ。

近代における戦争は、大国の下心に翻弄された歴史だ。 そして傷つくのは弱い人間たち。ヒーローなど不在だ。 我々は、改めて戦争の構図を知っておく必要があるだろう。

写真を撮られるときに誰もがやるピースサイン。 あれが日本で流行したのは、1960年代の終わりから1970年代のはじめ。 泥沼にハマったベトナム戦争に対する反戦活動のシンボルとして広まったように 記憶している。

世界最強の軍隊を持つアメリカが、なぜベトナムという小国との戦争に手こず り、泥沼化していったのか。

振り返ってみれば、この「戦争」の構造が50年という歳月を経た現代において も、まったく変わっていない事に気づくだろう。

ベトナム戦争は、米ソ代理戦争とも呼ばれている。 それは、資本主義(米国)VS共産主義(ソ連)との戦いだったからだ。

なぜ米国がベトナムという小国相手に手こずったのか? その答えは、この戦争を裏でソ連がバックアップし武器を供給していたからだ。 ソ連がアメリカを泥沼にハメたのだ。

ベトナム戦争が収束した数年後、次の戦争が始まる。 1978年。ソ連がアフガニスタンに侵攻した。

この戦いは、イスラム教徒VS無信教(共産主義:ソ連)という構図と、 ここでも、米国VSソ連という2つの構図があった。

アフガニスタンの共産主義政府樹立を機に、アフガニスタン国内で政府(共産主 義=無信教)とイスラム教徒たちとの対立が激化した。 そこにソ連が共産主義政府を守るという大義で侵攻したのだ。 ソ連は侵攻後、本来は味方であるはずの大統領を統治能力が無いと判断し殺害。 都合の良い人物を大統領の座に据えた。

アフガニスタンでのイスラム教の危機を感じたイスラム圏諸国から、イスラム教 徒の若者たちが大挙し義勇団として集結。 また、アメリカはその義勇団の兵士たちに最新兵器を大量に供与し、彼らをバッ クアップした。

時のアメリカ安全保障補佐官は、大統領にこうささやいたのだ。 「今度はソ連を泥沼にハメてやりましょう」 ベトナムの仇をアフガニスタンで晴らすという下心のある戦争だった。

アフガニスタンのゲリラ兵はアメリカの最新兵器を持ち、ソ連のヘリコプターを 次から次へと撃墜した。

アメリカが提供する武器の補給路を提供したのはパキスタンである。 パキスタン情報機関ISIが暗躍した。

パキスタンは長年の間、隣国インドと紛争状態にあり、 その逆サイドの隣国であるアフガニスタンには、都合の良い隣国になって欲しい という下心があったのだ。

アフガニスタンに義勇団として向かった若者を多く排出した国はサウジアラビアだ。 ボランティアに参加する者、義勇兵として参加する者。色々だった。

若者を大量に送り出したサウジアラビアの親たちに、 彼らの状況や安否を知らせる役割を担う「基地」が必要となり、 その基地作りにサウジアラビアの大富豪が名乗りを上げた。

その施設の名を「アル-カイダ」と言う。 アル-カイダとは「The BASE(基地)」という意味だ。

資金を提供した大富豪の名を 「ウサマ・ビン=ラーディン」と言う。

アフガニスタンの内戦は長期化し、アメリカの戦略通りソ連の侵攻は泥沼化した。 ソ連は、自国内の反戦・撤退要請の声に抗しきれず、1989年に完全撤退に至った。

もともとアメリカのアフガニスタン戦争の目的は「ソ連を泥沼にハメる」事に あったので、 ソ連が完全撤退したのを機に撤退する。アフガニスタンがその後どうなるかには 興味はなかった。

アフガニスタンから2つ大国が去り、最新兵器を持ったゲリラだけが残った。 今度は、宗教と民族の派閥による内戦が勃発した。

その頃、イラクではフセイン大統領が権勢をふるっていた。 元々、イラクやクエートの国境は、イギリス帝国が勝手に引いたもので、イラク はクエートを自分達の国だと思っている。 そんなこともあり、イラクはクエートの石油成金振りが気に食わなかった。 しかも、国境沿いのクエート側から大量の石油が発掘され、イラクの怒りは沸騰。 ついにフセインは「俺たちの石油を盗む盗賊を征伐する」という大義により、ク エートに侵攻する。1990年の事だ。

翌年にはアメリカ、イギリスをはじめとする多国籍軍が組織され、イラク攻撃を 開始した。 これを湾岸戦争と言う。 先進国にとって、石油の供給が不安定になる事は許されない事なのだ。 もちろん、多国籍軍の大義は、 国境を越え、勝手に隣国を併合するような事は現代の国際社会では許されない。 ということにしてあるが・・・。

イラクのスカッドミサイルは、サウジアラビアやイスラエルにまで飛び始めた。

湾岸戦争の戦費の70%近くはサウジアラビアが拠出した。と言われる。 戦争の大スポンサーだ。

サウジアラビアは、イラクからの脅威に対抗するため、アメリカに防衛を依頼した。 カネにモノを言わせたのだ。 のべ50万人以上の多国籍軍がサウジアラビアの国境沿いに進駐した。 これを「砂漠の盾(operation desert shield)」作戦という。

これに反発したのは、サウジアラビア国内のイスラム教徒たちである。 なぜ、自分の国を異教徒(キリスト教徒)に守らせるのか! というものだった。

その先頭に立ったのは、アフガニスタンから戻っていたウサマ・ビン=ラーディ ンである。 「戦うなら、俺たちが戦う。」 と、国王に申し入れたが、叶わず。 ウサマ・ビン=ラーディンは国外に追放される事になる。

ウサマは、アフガニスタンに戻った。 アフガニスタンでは「客をもてなす」事がとても重要な事で、 先の内戦で、重要な役割を担ったウサマを大切な客人とした扱った。

その頃、アフガニスタンではまだ内戦が続いていた。 パキスタンの下心は継続していて、アフガニスタンからパキスタンに避難してき た戦争難民を受け入れていた。 そして、イスラム神学校を作り、難民とその子供達を原理主義的なイスラム教徒 に教育していった。 難民を中心とするその組織を「タリバーン」と呼ぶ。タリバーンとは「学生」と いう意味だ。

彼らは、イスラムの教えをひたすら強固に遂行する。 イスラム教の教えを遂行する事を「ジハード」と呼ぶ。日本のメディアはジハー ドを聖戦と訳したが、 正確には、イスラムの教えの通りに行動する事をジハードと呼ぶ。

例えば、イスラムでは「女性は守られる存在」である。 従って、女性は常に家に置かれる。極力外には出さない。 外出の際には、その姿を見せないよう「ブルカ」という衣装ですっぽり体を覆 い、家族の男性と常に一緒にいて行動を共にしなければならない。 こんな事だから、女性は学校にも行けないし、会社にも行けない。 女性が医者に行く場合は、カーテン越しの医者と家族が話し、患者の女性に家族 が問診するそうだ。 もうここまで行くと、やり過ぎのように思えるのだが、 彼らは教えの通りに生活したいと考えている。

また、イスラムでは「偶像崇拝」を禁じている。 テレビや映画などの娯楽を禁じるのも、このためだと言われている。

この世でどんなに辛く、我慢をしても、 「復活」による神の裁きで天国に行けるなら、そこに永遠の幸せが待っている。 天国に行くために、教えをひたすら守るのだ。 現世の辛さなどなんでもない。

女性の社会進出。テレビ、映画・・・ アメリカと対立するのも無理はない。

なぜ、イスラムの教えに土足で踏み込むのか。 なぜ、イスラムで戦いが止まないのか。 自分達の幸せを壊す相手。としてアメリカが顕在化してくる。

ウサマは、アメリカにテロを仕掛けた。

アメリカは、すぐにアフガニスタンに侵攻した。 アフガニスタンに対し、ウサマ・ビン=ラーディンの引き渡しを要求したが、 断られたからだ。

アフガニスタンではウサマは大切な「客人」であって、 どのような事があっても引き渡すことはない。

アメリカはテロとの戦い。という泥沼に入っていく。

10年後の2011年5月2日。 ついにウサマは隣国パキスタンにて、米国海軍の特殊部隊により殺害された。

アメリカに追われているウサマが、 アフガニスタンの国境をどうやって超えたのか?なぜパキスタンに潜伏できたのか? ここまで読んで頂いた読者には、もうお分かりだろう。

フセインが亡くなり、 ウサマ・ビン=ラーディンも殺害された。

ソ連とアメリカが撤退したアフガニスタンで内戦が激化したように、 イスラムの強烈なリーダーが亡くなった事で、構造はさらに複雑化した。

そして今、 イスラム教徒を名乗るISISという暴力組織が世界中を震撼させているのはご 存じの通りだ。

ソ連が、アフガニスタンに侵攻しなければよかったのか。 イギリス帝国が、侵略しなければよかったのか。 アメリカが、文化の押し付けをしなければ良いのか。

大国の下心に翻弄され、イスラム圏はイスラム教徒自身にも理解できないほど複 雑化した。

イスラム教徒の幸せはどこに行った。

何も考えずピースサインを送れる平和と幸せを享受している日本。

戦う牙を抜かれたのも、どこかの国の下心かもしれない。

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