[コメント] 太陽の坐る場所(2014/日)
木村文乃が髪をかき上げる動作の途中で正面にカットが切り替わると、通常アクション繋ぎで編集するところなのにもかかわらず既に手が下ろされている。或は、彼女が左を向いてるカットの後に鏡に切り返し右を向いてる(ように見える)カットを繋ぐ。こうした画面を断絶させる感覚が鈴木清順のようで凄まじい。冒頭の分割画面から始まるこれらの画面の「分断」が一つに纏まり、太陽の坐るカットで終わる。中々面白い。
古泉葵と男子学生が自転車で川原の土手を並走する場面も、通常2人を同一画面に入れてからそれぞれの寄りを入れてくるところを、2人の寄りの切り返し→2人のロングショットという風に逆に編集されている。また、森カンナが墓参りする場面において、蝉の鳴き声と彼女の白い吐息が同じ画面に同居していることも見逃してはならない。古泉葵が川辺で男子学生から「意地張ってるだけだろ」と言われるカットではいきなり日食観賞用のメガネをかけており、メガネを取り出したりかけたりする描写は一切省かれている。
このような「分断」の感覚は劇中の人間関係の繋がらなさや時制の往還においても徹底され、時系列順ではなく各エピソードが断片のように綴られていく。実際、この映画が何の話なのかは終盤までよく分からず、観客と映画の間にも断絶の感覚を与えて進んでいくわけだ。
日食のエピソードは教室内の光(響子)と影(今日子)の立場の逆転を暗示していることは明白だが、照明の変化によって視覚的にも場面をきっちり印象付ける矢崎仁司の演出手腕は確かなものだ。冒頭場面のバスケットボール。電話で同窓会への出席を断る水川あさみの前進移動を捉えたショット。電車や風。活劇性を備えるための細部もちゃんと拵えている。
前作の『不倫純愛』は女優こそ美しく捉えられていたものの、いまいち消化不良に思えたが、本作の出来は中々のものである。木村文乃、森カンナを艶めかしく撮ってくれていることも私個人としてはうれしい。
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