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[コメント] サンドラの週末(2014/ベルギー=仏=伊)

最初の同僚を説得する場面。庭に置かれた棚がコティヤールと同僚との間を線的に「分断」する形でこれ見よがしに配置される。扉の敷居、壁の色彩の違い、フェンス。人々の立場を視覚的に示すものとしての「分断」。だが、この「これ見よがしさ」が画面内の事物に一義性(作為)を与えてしまうように思え、私としてはあまり面白くない。
赤い戦車

感覚としては人為的に「映り込ませた」事物よりも、自然発生的に「映り込んでしまった」(と錯覚させてくれる)事物であるからこそ、人はそのショット、その映画に感動するのではないか。

そういう点では素晴らしいのは車にもたれ掛るコティヤールの項と車窓の流れる風景を捉えた数ショットだろう。車窓の流れる風景には何の意味も仮託されていない。だが、流れている風景はそこに間違いなく存在する。コティヤールの置かれた状況とは全く関わりなく、しかし明確な存在として現れる別の世界。その息吹、営み。世界の広がり。私たちが生きる世界そのもの。

(評価:★4)

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