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[コメント] サウルの息子(2015/ハンガリー)

たとえ生きることを諦めた中でも、希望は持てる。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 オープニングからもう嫌な描写が延々と続く。特に冒頭の、サウルがガス室前で無表情な顔でうつむく中、背後から聞こえるうめき声は夢に出てきそうなレベルの気分悪さ。  これだけで、「こりゃとんでもない作品だぞ」と居住まいを正したものだが、それからなんだかよく分からない展開が続く。

 主人公サウルがユダヤ人であり、ガス室送りになった同胞を“処理”する係なのは分かるが、それは生き残るための駆け引きをして同胞を裏切ることでこの地位を得たの?なんで赤の他人を「息子」と言い張ってる?など、実際よく分からなかった。

 それで話の中でも細かい説明はあまりなく、状況描写から読み取るしかないのだが、段々分かってくるのは、サウルが属するゾンダーコマンドなるものは、別段ユダヤ人を裏切る組織ではなく、ドイツ士官から命じられた役目であり、数日〜数ヶ月で確実に処刑される立場にあるということが見えてくる。

 そこら辺が理解できたあたりで、やっとこの物語の方向性が見えてきた気がする。

 だが物語展開になかなか納得がいかない。サウルが死んだ少年を自分の子どもと主張する根拠は不明だし、誘われているゾンダーコマンドの脱走計画に参加しようとしないのか?逃げるチャンスもあるのに、一か八か逃亡しようとか考えなかったの?最後に出会う少年は何?とか、とてももやもやしたものが残る。

 しかしながら、観てる間分からなかったのだが、観終えてしばし考えつつ、ようやく自分なりに納得がいった。

 ここでのサウルの立ち位置とは、既に自らを死んだ者として自らを処している。確実に殺されることが分かった立場で、自分が何をすべきか。その極限の精神を描こうとしていたと言う事だった。生きる事を放棄した時、一体何を希望とすべきなのか?と言う点について描こうとしたのだろう。

 サウルにとって、最後に残された希望とは、自らが生きていたという証であり、それをこの世界の人と、信仰上、神にそれを見ていてほしいという願いだけ。

 サウルが一人の少年をユダヤ教の儀式に則って埋葬しようとしたのは、神に対して誠実たらんとしたこと。こんなに困難なことを、行ったと言う事を、他の誰でもなく、神に伝えようとしたことであり、同時に、他のユダヤ人から蔑まれるゾンダーコマンドの中にも誠実な人間がいると言うことを示すことで、自分が生きていたということを印象づけると言う事もあった。普通に生きている限り、絶対に到達できない境地に立っての行動だったということである。

 そして最後の最後、ギリギリの願いが断たれた時、サウルが森で出会った一人の少年。彼は収容所近くに住む一般の少年だと思われる。勿論サウルとはなんの関係も持たない人物だが、彼に目撃されたことによって、少なくとも収容所の外の人間に「私はここに生きている」と言う事を見せる事が出来た。それが最後のサウルの希望が叶えられたという事になる。

 ただ自分の姿を見てもらうだけが最後に残された希望であり、それを叶えるためだけで一本映画を作るってとんでもない物語である。

 こんな映画が作れたと言う事だけでもとんでもない事。よくぞこんなもん作ってくれたもんだと心底感心できた。

(評価:★5)

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