[コメント] FAKE(2016/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
まずこの映画はエンターテイメントとしてすばらしいということだ.佐村河内夫妻という被写体を扱ってここまでエンターテイメントに昇華させるのは,森達也だからこそなせるのだろう.私たちが,ドキュメンタリー特にこの映画を見るにあたって気をつけないといけないことは,ドキュメンタリー(映画)は,真実や客観性,中立をある意味担保する必要が無いということだ.この点で本来あるべき報道というものとドキュメンタリーは大きく異なる.ドキュメンタリーはある意味無責任で良いのだ,面白ければ良い.だから,僕はこの映画の中で何が真実かを探すことは無意味なことだと思う(フィクションの語られなかったストーリーや背景を想像することと同じ意味での楽しさはあると思う,そしてそれもドキュメンタリーの楽しみ方の一つではあると思う).私は,この映画で注目すべきなのは,自分に欠けていた「視点」なのだと思った.私はこの映画を見ていてたくさんの自分のかけていた視点に気がついた.佐村河内からの視点,佐村河内の妻からの視点...
中でも私が一番印象に残ったのは,新垣氏が大晦日の特番に出ている姿を佐村河内夫妻が見ている姿だ.単に新垣氏が出演する番組を見る我々視聴者が,その番組を見てうんざりする佐村河内氏と一緒に番組を見るだけで,番組の見方が全く変わってくる.このシーンに私は佐村河内氏がいたたまれなくなった,例え彼が稀代の詐欺師であったとしてもだ.一方で,このシーンには,映画館の中では笑いも起こった.確かにこのシーンはある意味シュールですらあり,笑いが起こるのもわかる.しかし,私は笑えなかった.笑う人と笑わない人,何が違うのだろうか?私が考えるにそれは「視点」の違いだと思う.笑わない人は,佐村河内氏に感情移入して佐村河内からの視点で,笑った人の視点はそのまま観客(第三者)の視点だったのだ.どっちが正しいとか良いとかではない,私たちは同じ物を同じように見ていても,本当に視点が違うのだ.それをまさに痛感させられた.この他にも聴覚障害者からのこの事件への視点など,まさに自分にかけていたたくさんの視点を気づかされた.
いくつかのテーマ性を持ちながら,エンターテイメントとして面白いこの映画は称賛に値すると思う.でも,この映画がもしフイクションとして作られたなら,私たちはこの映画にこれほどドキドキしただろうか.ドキュメンタリーだからこの映画は楽しいのだ.なぜなら,ドキュメンタリーの中には,映像という演出化・断片化されて本質的には意味を持たない「現実」と,映画の中のどこを探しても本当は見つかることのない,そしてそれがわかっていても探してしまう「真実」というスパイスが含まれるのだ.そして森達也は,これらのスパイスの使い方が本当に絶妙なのだと思う.
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (2 人) | [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。