[コメント] セデック・バレ 第二部 虹の橋(2011/台湾)
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戦闘の初期衝動の後を描く二部。ここからどうするのか、こちらの方が興味深い訳だが、やはり滅びの美学が描かれることになり、観ていてとてもしんどい。アホなSFならいいのだが史実なのだ。
敵部族の長に息子が云う。「戦って、そして虹の橋の向こう(あの世)では仲良く過ごすんですね」。この認識はバガヴァット・ギータにおいて、戦を逡巡するアルジュナへのクリシュナの諫めにとても似ている。神と来世を設定すると戦争はこんな意味を持ってしまう。
本作の最良の部分には平家物語の哀れがある。白眉は前半の女たちの自決であり、またセデック族の警官の日本人妻との自決だろう。しかもほんの数十年前なのだ。警官の自決を止めずに「(セデック族でも日本人でも)どちらでもない自由な魂になれ」と語る男に良心を感じる。この言葉が本作の肝と捉えたい。唯一未来を指し示している。
一部二部通じて、ほとんど山岳地帯で描かれる戦闘シーンのユニークさがいい。日本人の滑舌が悪いこと(外国映画にはありがちだが)、夜がひと時代前みたく青すぎること、CGがときどき安いことに違和感があるが、些細なことではある。モーナ・ルダオ役のリン・チンタイは魅力的。文太兄いに少し似ている。
なお、Wikiによれば実際はもっと小規模の事件らしく、史実を派手に脚色してあるとしたらそれはよろしくないだろう。しかし、南京事件みたくここでも人数規模が問題となるのかも知れず、もうこういう話は簡単に信じないことにしている(同じWikiで『サヨンの鐘』を褒めているのも眉唾度を増している)。
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