[コメント] 放浪記(1962/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
作家がまず自分の半生を物語るというのは、良くある話で、その苦労の度合いが大きければ大きいほど、フィクションとしてのドラマ性が向上します。数ある文学作品の多くがこのパターンだと思うんですね。
でもって、所詮ドラマや物語というのは、経験や記憶で作られているということだと言えます。
黒澤明監督と大島渚監督のインタビューで黒澤明監督が強くおっしゃっていたことがとても印象的です。まず、自分で何か作りたいならシナリオを書きなさい。そして途中であきらめずに最後まで書きなさい。1日1枚書けば、1年で300枚のシナリオが書けるはず。諦めないで持続することが大事なんだと。
これはこの主人公の林芙美子に重なることでもありますよね。
そんな主人公を見事に演じているのが高峰秀子さんです。(かつて黒澤監督とも噂になったらしいですね。)
私はどちらかというと、闊達な演技の高峰秀子さんしか知りません。ですが、どうも成瀬巳喜男監督の作品となると、どうしても我の強い女性が現れます。『稲妻』にせよ『流れる』せよ、この監督とこの女優の関係の密度にかなう関係とは溝口健二と田中絹代の関係に等しいとも思わせる残酷さが漂いますね。ちなみにこの作品で田中絹代は主人公の母親役を演じています。
あわせて、成瀬巳喜男作品に登場する男どもの情けなさ。あまりにも貧弱でうそつきでだらしがなくてひ弱。そんな男性陣を相手に奔放に振る舞う女性を高峰秀子さんは強烈なインパクトで引きつけます。
タイトルの『放浪記』とは、まさに男性に翻弄される女性の放浪であって、その時代の貧困だとか、背景は全く関係ありません。そんな強さが最後の最後に結実するのが爽快です。
そして主人公にからむ女性陣もまた個性的です。草笛光子さんや他の女性も男性に翻弄されながら、最後は女性としての道を選びます。しかし主人公は、男性に翻弄されながらも最後は自らの文学を信じ、すべての体験を自分の作品に落とし込もうと努力し続けます。
彼女の魅かれる男性があまりに貧弱なだけに、彼女の強い個性だけがいきりたつような作品に仕上がっていました。
それにしても成瀬巳喜男監督の女性に対する冷徹な視線には圧倒されます。本当に冷めた方なんだろうと思います。だからこの作品の最後で、ややハッピーエンドに導かれる印象が残りながら、作品全体の思いイメージはぬぐい去れませんね。
見事としか言いようがありません。
2010/01/26(自宅)
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (0 人) | 投票はまだありません |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。