コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 沈黙 -サイレンス-(2016/米)

原作既読。原作のままの話の流れ。その意味で★4つ。キチジローの「こんな私でも赦されますか?」の問いに答えられない司祭・ロドリゴ。そして彼の、自分が布教することによって信者が迫害されている、神はどうしてこのような事態を静観なさるのかとの問いには神も答えない。終始沈黙。昔から思うことだが、信仰によって迫害されたり戦争したり、不幸になるくらいなら、この世から宗教なんてなくなればいい、と思ってしまう。
IN4MATION

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







棄教すればいい。

絵踏みすればいい(ちなみに踏絵とは置かれた板のことで、行為を意味する場合は絵踏みで正解)。

誰かに自分が何を信仰しているか、何を信じているか、頑なに示す必要性なんてない。

自分の心にそっと仕舞っておけばいいこと。

切迫した状態で絵踏みしたからといって、神が信者を見放すようなら、そんな神なんていらない。

本来、心の拠り所として、心を、平穏に・幸せを感じ・豊かにする・ための信仰で命を落とすなんて馬鹿げてる。

司祭であるフェレイラもロドリゴも結局は転んだ。

転んだ振りでもいい。

禁教令施行後の迫害に屈せず殉教した者が真の信者であるかのような、後の世の喧伝はむしろ危険と感じる。

日本二十六聖人殉教地や長崎の各地の教会を観光で訪れた。

磔にされた26人が後にカトリック教会によって聖人の列に加えられた。

信教の自由が基本的人権として保障されている現代に育った僕には、可哀相な人たちだなぁ、という思いと同時に、正直、要領が悪い人たちだなぁ、頑固な人たちだなぁ、自分の信ずる神を(逆に)信じていないのかなぁ、という思いも抱いた。

キチジローの生き方が正しいとは言わない。

時代が悪かったとしか言えない。

でも、もう少し柔軟に考えて生きることを選択してほしかった、と僕は殉教者たちに対して思ってしまうのである。

その頑なさは、ある意味、様々な宗教問題で戦争している人たちと何も変わらないのだから。

本当に神様がいるのだとしたら......。

信仰で命を落とすことなんて、神様自身も望んじゃいないだろうに、と僕は思う。

あと、描写の点で一言言うなら、ロドリゴが絵踏みする際に「まさに転ぶ」演出があったが、あれはふざけているのか? スコセッシが「転ぶ」=「棄教する」ことを理解していないとは思えないし、登場人物の会話でもそれは明らか。なのに、あの演出。謎。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (1 人)ぽんしゅう[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。