[コメント] デビルズ・キャンディー(2015/米)
リンチ的な不安を煽る仕掛けが随所で利いている。 主役の家族三人と後に助っ人として参上する警官以外はほとんど人らしい人が出てこないキリコ的な亜空間があたりを領していること。 絵描きと社会の唯一の接点が、ハイパーモダンな画廊の最深部に潜むエージェントで、血のような色のVネックドレスに、毒々しいアイメイクを施し、魔性の領分を見え隠れさせていること。茨だらけの駆け引きの末に召喚される黒バイヤーときたら、ロストハイウエイの夜からそのまま抜け出してきたかのようだ。 極め付けは、牧歌的な田園風景の真只中での暴力の勃発の理不尽さ。一本道での唐突なジグザグ暴走はもちろん、子供を木の間がくれに誘き寄せる≪脱兎の穴≫がいい。卑近な日常の臨界で、彼岸と連結しているような気配を棚引かせる。引っ越し先で娘が転入する中学の校舎さえ異化効果の媒体となる。
画家の仕事中のキャンバスが反キリストとの交感のための霊的な磁場となるというアイデアも視覚的に十二分に開拓されている。特に殺人鬼の餌食となる子供たちの断末魔の表情が自動筆記的に描き出されるくだりは絵面のおどろおどろしさもあって鬼気迫るものがある。5分ほど作業に没頭したつもりが、とっぷりと日が暮れてしまっていて驚くところに、主人公が陥っている特異な心境の反映がある。
一番好きなシーンはメタル親父とエモ娘がドライブ中にお気に入りのギターリフが流れてくるなり激しくヘッドバンギングし始めるところ(気脈の通じる親子ならではの阿吽の呼吸!)。すぐに助手席の奥さんからちょっと音がうるさすぎないって一齣容喙されるのだが、父娘は訳知り顔ににやりとして、耳をつんざく爆音に身を任せる。中学以来メタル系バンドとは決別していたはずの私さえ胸熱になる親子承継の内幕だった。そういえば、この親父は見た目は薄汚いグランジ系で全身タトゥー入りの筋骨隆々なのになぜか家庭では女性陣の尻に敷かれっぱなし。愛娘の顔色を窺ってばかりなのは情けなくなるほど。こんなヘタレ親父に家族の命運を預けて大丈夫かと心配になるのだが、こちらの所期をはぐらかす風態と性格のズレも、一段と感興を添えるのだった。 結局のところ、これは見る者の先入観を逆手に取った三つ巴の差異=サスペンスの映画と言えるのかもしれない。つまり、暴力のオフスクリーン化による恐慌の増幅(空間的差異)。事件性の形成の周回遅れによる不安の萌芽(時間的差異)。そして我々の期待通りにあえてコマを動かさないことによる焦らし(心理的差異)。
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