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[コメント] 同じ星の下、それぞれの夜(2012/日)

三篇の差異にとって地理的な区分は本質的ではない。というのは、三篇は互いに舞台を交換しても(諸細部に修正を加える必要は当然あるにせよ)同様の物語を成立させることができるだろうからだ。むしろ「言語的コミュニケーションの成立度」の高低がそれぞれの物語におけるアイデンティティの核心を成す。
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**ネタバレ注意**
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真利子哲也の第三話、富田克也の第一話、冨永昌敬の第二話の順に面白い。この序列が作中人物間の言語的コミュニケーションの成立度を低いほうから並べたものと正確に一致するのは偶然ではない。満足に言葉が通じないことによって引き起こされる喜劇や悲劇、あるいは言外の交感がもたらす感動は「映画」に期待される面白さの主要なひとつであるからだ。それを最もまっとうに演出した第三話が最もまっとうに面白いのは道理である。付け加えて云えば、「ヤギ」の登用や夜の遊園地の光景もまっとうに映画的だ。

ここで冨永と富田の擁護を試みておくと、冨永は「距離」を、富田は「時間経過」をそれぞれ強調した作劇に取り組み、それなりの成果をあげている。「日帰りが可能な程度に遠い」東京とマニラを「飛行機」「電話」「電子メール」「テレビ中継」といった複数の方法で取り結んでみせる冨永は、用意した素材を抜かりなく調理していると評してしかるべきだろう。二都市間に時差がほとんどないのは喜劇性の向上にとって痛し痒しだが。

「男二人:女一人」という映画におけるキャラクタ配置の黄金比を逆転させて時間経過と人間関係の変遷をパラレルに描いた富田の成功は、やはり川瀬陽太の造型に力点を置いたところにある。たとえばタイへの出立前、電話で家族と話す短く侘しいシーンを置くことでキャラクタは観客の好意を掴むことになるだろう。

(評価:★3)

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