[コメント] 牝猫たち(2016/日)
かつて映画のなかの風俗嬢には事情があった。男に裏切られた怨恨女。親兄妹を背負う勤労女。惚れた男に貢ぐ奉仕女。借金漬けの居直り女。世間を斜に見るやさぐれ女。そんな事情が物語の推進力だった。この牝猫たちにとって最早「事情」は現実感を持たないようだ。
雅子(井端珠里)、結依(真上さつき)、里枝(美知枝)。池袋に巣くった3人の女たちは、寂しさや辛さを表現するすべを忘れたように、どこか生きることに対して醒めている。
社会のセーフティネットをすり抜けてしまった女たちが、自分が抱えた「事情」から目を背けるようになったのはいつごろからだろう。男女雇用機会均等法の定着、バブル経済の崩壊と失われた20年、新自由主義と派遣法改正という甘い罠。
そんな社会の潮流の底で男たちは深く沈殿し、女たちは波間の渦を浮遊する。引きこもり、独居老人、虐待児、自嘲芸人、ネットカフェ難民、不妊症妻、ネグレクトマザー。快楽よりも温もりを求める男たちと、愛情よりもつながりに欲情する女たち。
空疎な性の戯れが相互依存となって、いつしか束の間の自存確認の術となる。だが、しょせんは互いに「受け身」でしかないとうすれちがい。現代風俗の断片を巧みに切り取った傑作。
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