[コメント] ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択(2016/米)
風景画と見まがう遠くに山並みを配した美しい広角画面の奥に小さく光る点が見える。光点はやがて貨物列車の長い長い線となって轟音とともに“風景画”を横切り、朝のラジオが今日もまた寒い一日の到来を告げ、曇天の続きのモンタナの小都市の女たちの物語が始まる。
男性依頼者の合理を無視した理屈にならない甘ったれた要望に、溜め息まじりにも律儀に応じる弁護士ローラの(ローラ・ダーン)は、まるで駄々を捏ね続ける子供に手を焼きながらも、なんとか取りなそうとする母親のようだ。意識なきジェンダーフリーの限界。
不義理な夫と反抗的な娘の存在から気をそらすように、人の関係としての“Home”ではなく、モノのカタチとしての“House”造りに邁進するジーナ(ミシェル・ウィリアムズ)の滑稽かつ傲慢を誰もいさめることができない。無意識の拒絶が招く柔らかな断絶。
生まれによる疎外感を抱いているジェイミ(リリー・グラッドストーン)は馬という命あるものとの触れ合いを通して「人を求める回路」を保っている。一方、生活を保つことが生活のすべてになっている弁護士エリザベス(クリステン・スチュワート)は「人を求める意識」すら消費していまったようだ。求めることで失い、求められることで気づく寂しさ。
ケリー・ライカートは、そんな四者四様の“曇天模様”を無下に否定しない。だがらこのドラマに絶望は存在しない。曇天の下の薄日に希望が託されているように見えた。
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