[コメント] 甘き人生(2016/伊)
とても豊かな映画だ。時空をまたがって、同一のイメージの反復を観客に喚起する作りが意識的に行われており、豊かな映画の時間を感じる。
主人公マッシモと母親が踊る冒頭のダンスと、ベレニス・ベジョの祖母のダイヤモンド婚式の場面でのダンス。母親とバスに乗っている際に仰ぎ見る銅像と、プールの観覧席の母親たちを映した、泳いでいるマッシモの見た目として提示される仰角カット。また、バスの中で見る、知らないカップルのキスのカットと、ダンスをした後、会場を抜け出し、ベジョとキスするカット。飛び込み競技の反復についてもベジョがプールで体現する(その他多数ある落下のモチーフについては割愛)。或いは、テレビの中のベルフェゴールとクラブのシーンで映し出される吸血鬼ノスフェラトゥ。マッシモの家と教会のいずれにもあるクリスマスの装飾、ベツレヘムの星。
そして、サラエボのシーンで、ドアの前で血を流して倒れている女性と携帯ゲーム機に没頭する少年は、マッシモと母親のメタファなのだろう。
そして、これは音の使い方、という意味でも秀逸なのだが、母がいなくなる朝の、男の叫び声が忘れがたく耳に残り、母親の顛末と同時に、あの声は何だったんだろうと思いながら、見進めることになるのだが、ちゃんと後半で種明かしをしてくれる、なんてところも行き届いた演出を感じる。エンディングの「かくれんぼ」は、これも母を探求する人生の象徴なのだろうが、放ったらかし感−なんにも解決せずに終わる−の余韻も絶妙だと思う。
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