[コメント] 婚約者の友人(2016/仏=独)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
二人の男が女に言う。「君には幸せになってほしい」と。 一人は婚約者。戦地から送ってきた手紙で、「僕に万一のことがあったら」という前提付きで。 もう一人は婚約者の友人を名乗る男。どのシーンで言ったのか記憶は定かではありませんが、彼女を振る時だったように思います。
つまりこの映画、「男は“幸せになってね”って簡単に言うけど、言われる側の女は大変なんだよ」って映画なんだと思うのです。
この映画、ヒロインのアンナが歩くシーンが多い。いや、列車も含めて移動シーンが多い。そして彼女の移動はすべて彼女の意志で動いているのです。
駅のシーン。 “婚約者の友人”を見送るアンナ。カメラはホーム側から動きません。あくまでカメラはアンナ側にあるんですね。 一方、アンナが列車でフランスへ旅立つシーン。もちろんホーム側からのカメラもあるのですが、カメラは切り返し、列車側のアンナから見送りに来た老夫婦(婚約者の両親)を写します。 この似たようなシーンだけ見ても、ボンヤリ撮ってるわけではなく、アンナの視点で描かれている映画であることが分かります。
また別のシーンでは、アンナが歩みを止め踵を返す場面があります。背後から写していたカメラが、振り返った彼女の表情をとらえ、再び歩き出すまでをワンカットに収めています。 彼女が“意志”を持って行動していることを示す映画的なシーンです。
この映画は、“嘘”をキーワードにしながら、確固たる意志を持って行動する女性の物語なのです。彼女が、秘密を抱えて“嘘”を突き通すのも、彼女の強い意志なのです。
フランソワ・オゾンはなんて意地悪なんでしょう。 「そこで終わっていいじゃねーか」「そこで終わっていいよ」「そこでめでたしめでたしでいいじゃんか」「もうそこで終わりなよ」「お願いだから、もうやめてあげて」。 オゾンは決して楽な状況を作りません。必要以上に過酷にいじめる訳じゃないけど、次から次へと展開して、ヒロイン=アンナを“安住”させません。ほんと、オゾンは人が悪い。
それでも人は生きていかねばならないのです。自分の意志で、歩き続けなければいけないのです。
かつて(今も?)「死の美学」映画が多くありました。それはそれで嫌いじゃないのですが、“時代”と“男の考え方”だったように思います。例えばルイ・マル『鬼火』のように、そういう映画の場合「彷徨ってる」んですね。 しかしこれは、しっかりと自分の意志で歩く映画です。今時の(第一次世界大戦直後の設定ですが)女性を描いた、いやむしろ、現代の女性たちに向けたエールなのかもしれません。
男はね、言っちゃうんだよ「君には幸せになってほしい」って。でもその気持は嘘じゃないんだよぉ。
(17.10.21 シネスイッチ銀座にて鑑賞)
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